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【2011年8月号】タイと南スーダン─新たな門出に立つ2つの国に栄光あれ

7月に入ってアジアとアフリカで新しい時代を示す2つの国の動向が明確となった。1つはタイで、2005年に首相に選ばれたタクシン氏が1年余でクーデターで追放され、以後混乱を続けた内紛が、7月3日の総選挙によってタクシン氏の妹インラック氏が率いるタイ貢献党が過半数を獲得し、さらに4党連立によって旧体制を圧倒する可能性があることだ。タクシン元首相は所得格差の縮小・農業の改善を中心に構造改革をすすめ、地域的にはバンコク周辺の都市部以外の北部に至る農村・地方都市で、低所得層や農民層の支持が圧倒的に高く、今回の選挙結果でもそれが表れている。もともと反タクシン勢力は主に都市中間層・富裕層・国軍・警察・王族・司法など旧体制派で、元首相の枢密院議長や軍・裁判所がリードして、07年には憲法裁判所が選挙違反でタクシン氏の所属する愛国党の解散命令を出した。その12月、旧愛国党は「国民の力」党として第1党となり、翌年1月この党のサマック首相が就任したのに対して、9月には料理番組に出演したのを理由に首相に違憲判決を出した。これを受け、タクシン氏義弟のソムチャイ首相が就任「( 国民の力」党)したのに対して12月に憲法裁判所が「国民の力」党に解散命令を出し、引き続いて反タクシン勢力が民主党のアピシット首相を担いだ。この執拗で陰険な攻撃に対して、9年、10年とタクシン派による大規模デモが行われ、治安部隊と激突したが、彼らのシンボル「赤」の扮装が世界にアピールした。この結果が今回出たのである。タイは第2次大戦後23回のクーデターがあったが、従来は王が対立する両者に妥協を進めて解決した場合が多い。いま、王は非常に高齢で病身であり、王子・王女には力がない。多数の観光客とアジア工業化の先頭に立ってきた「微笑の国」タイは、大変なイメージダウンと経済的損失を被った。

タクシン氏は、タイで初めて本格的な貧困対策・農業改革に取り組み、首相就任時は次代のASEANリーダーとして高い評価を受けた。しかし保守派はこの改革による利権や既得権の喪失に危機感を持ち、開発独裁にありがちなタクシン氏の厳しいやり方や家族の資産形成に反発して執拗なリベンジに出た。今回は引き続くタクシン派の合法的な追撃に後退し、軍も反撃しにくいとみられるものの保守派の反撃があり得るので楽観はできない。

スーダンは1956年独立以来、南北に分かれて内戦を繰り返し、05年にようやく包括和平で合意し、今回南スーダンが独立し、喜びに沸いた。南スーダンは193カ国目の国連加盟国となった。分裂の理由は、北がアラブ系でイスラム教徒、南は黒人でキリスト教・土着宗教ということにある。しかし、南北スーダンで日量49万バレルの原油を生産するが、油田の8割は南にあるものの、南には施設もインフラもなく、積み出し港も北にあり、これが将来の不安を誘う。おまけに中国が南北深く入り、石油の利権を確保しており、それもまた大きな不安の1つといえる。(伴) 


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