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巻頭言 名誉顧問 板東慧氏 のご逝去を悼む

(公社)国際経済労働研究所 会長 古賀 伸明

 春の名残を惜しむ折、2025年3月24日、私たち国際経済労働研究所の前会長であり、名誉顧問の板東慧氏がご逝去されました。突然の訃報に接し、深い悲しみとともに、私たちは大きな喪失感を覚えました。ここに謹んで哀悼の意を表するとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 
板東氏は大学卒業後、労働組合と研究者が共同で設立した「関西労働調査会議」が比較的身近にあったことから、そこで様々な実態調査に参加していった。それを母体として1961年には「労働調査研究所」を設立、13年には現在の「国際経済労働研究所」へと改編した。まさに、板東氏は当研究所の創業者というべき存在だ。

 板東氏が設立以来推進してきた、「自分たちに必要な調査研究を自ら進めていく」という労働調査運動は、我が国の労働組合運動にとって、極めて重要な役割を果たしてきた。その揺るぎない姿勢は、これからも私たちの道標となることだろう。

 国際経済および労働問題に関する豊かな識見と、常に時代の先を見据えた確かな眼差しを持ち、研究所の礎を築かれた。国際経済労働研究所が今日に至るまで、評価される機関として発展してきた背景には、板東氏の不断のご尽力と、深い信念があったからだ。

 研究所設立当初から、労働現場に根ざすのはもちろんのこと、それと同時に学際的な視野も重視し、経済学・社会学・心理学・政治学など多様な分野の知見を融合させることによって、複雑化する現代社会の課題に真摯に向き合うべきだと説かれた。その理念は、今なお研究所の活動指針として脈々と受け継がれている。

 私自身が板東氏の名前を拝見したのは、70年代の終わり頃。労働組合の役員になった時、手にした、出身である松下電器労組(現在のパナソニックグループ労連)の運動史「たゆみなき創造」だった。その一節に、当時の中央執行委員長と数人の有識者での座談会の様子が掲載され、メンバーの一人が板東氏だった。

 86年に大阪に来て以降は、直接ご指導を受けることになり、02年に東京に行ってからも時々お会いしていた。15年に連合会長を退任し連合総研の理事長になり数年後からお声をかけていただき、研究所の機関誌イントレコウク新年号の座談会「労働・社会の未来を語る」のメンバーの一人に加えていただいた。

 そして、22年の総会で私が会長を引き継ぎ、板東氏には名誉顧問に就任いただいた。翌23年6月の総会で実施した75周年記念企画「紡」では、お元気な姿でご挨拶もちょうだいした。公私とも大変お世話になり、この場をおかりして心より感謝申し上げる。

 今、私たちは好むと好まざるとに関わらず、大きな時代の転換期を生きている。民主主義や市場経済のあり方を含め、これまで私たちが当たり前と考えていたことが、大きく揺らいでいる。世界のあらゆるところ、あらゆるレベルで、新たな社会・経済モデルの模索が行われ、日本も政治・経済・社会・産業などのシステムが、改めて問い直されている。

 このような時代だからこそ、私たちは板東氏にご指導いただかなければならないことばかりだ。しかし、それはもうかなわないことである。

 板東氏が蒔かれた数々の種は、確かに広く芽吹き、力強く育ち続けている。私たちはこれからも、板東氏の尊い志を深く胸に刻み、次代の課題に挑み続け、社会に貢献する使命を果たしていかなければならない。それこそが、最大の感謝であり恩返しであると、心から信じている。

 
板東名誉顧問、改めて心よりご冥福をお祈りし、尽きることなき感謝の真心を捧げる次第です。本当に長きにわたり、ご苦労さまでした。そして、誠にありがとうございました。どうか、安らかにお眠りください。そして、これからの私たちの歩みを、天上よりお見守りください。

2025.6

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