(公社)国際経済労働研究所 所長 本山 美彦
1973年6月13日、米国のニクソン大統領が、インフレ対策として、60日間を期限としてほぼ全ての物価を凍結し、飼料穀類など主要農産物の輸出を規制することを発表した。 この輸出規制により、日本では豆腐の価格が急騰し、豆腐の買い占め騒動が起き、相次ぐニクソンショックと相まって、日本の食料分野は大混乱した。
当時の日本の首相は、米国一辺倒であったそれまでの日本の政治に自立性をもたせようと模索する田中角栄であった。彼は1972年7月7日に内閣総理大臣に就任し、1974年12月9日までその職にあった。
日本は、輸入先の多角化を目指し、そのための最重要国として、ブラジルを大豆生産国に転換しようとした。
その使命を帯びて1974年8月に創設されたのがJICA(国際協力事業団)である。
日本の動きにブラジル政府はすぐさま呼応し、1975年、首都ブラジリア近郊に「セラード農畜産研究センター」(CPAC)を設立し、セラード開発にJICAの支援を仰いだ。
1974~1979年までのブラジル大統領「エルネスト・ガイゼル」(ErnestoGeisel、1907~1996年)も、中国、アンゴラ、モザンビークなど、反米であった諸国とも国交を結んだことに見られるように、対米従属一辺倒の人ではなかった。
「セラード」(Cerrado)とは、ブラジル中部の熱帯サバンナ(疎林や灌木が散在する草原)地帯で、ポルトガル語で「閉ざされた」いう意味の、灌木が密集して立ち入ることが難しい地帯であった。セラードの面積は日本全土の5.5倍もある。
セラードの土壌は、強い酸性で、養分も外に溶け出させるうえ、植物に有害なアルミニウム濃度も高い。アルミニウムは、根の伸長を阻害し、細胞の機能を損なう。
JICAは熱帯には不向きな日本の大豆を改良して、短期間でこの地を世界有数の大豆輸出地域に変貌させた。
1970年にはゼロであったセラードの大豆生産量は、2002年には、日本の大豆需要の7倍以上の2,900万トンにも激増した。2002時点で、セラードでの生産量は、ブラジル全体の58%、世界の13%を占めるようになっていた(https://www.jica.go.jp/jica_ri/news/topics/2010/post_14.html)。
最近のトランプの品性を欠くごり押しの対外経済政策を目のあたりにして、当時の劇的な出来事を思い起こしてしまう。
2025.6