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【第2回】米国における日本的企業統治(コーポレート・ガバナンス)見通しの気運=従業員の生き甲斐の確認の動き

「米国式スタンダードの重要な梃子=フォーリン・アフェアーズと米外交問題評議会(Council on Foreign Relations)(2)を書くことを前号で約束していたが、今回は、最近の米国のジャーナリズムで「日本的経営」の良さを見直す動きを紹介することに 変えたい。当初予定していた「米外交問題評議会(2)」は、次号とすることで読者諸氏のご寛恕を得たい。

米国の企業統治とは

米国式企業の運営方針=企業の自己統治方法(コーポレート・ガバナンス)は、IT革命の進行とともに、米国式資本主義体制の成功のシンボルとして、米国 人はもとより、多くの米国外の経営者・会社員によって意識されたものである。米国式企業統治とは、(1)企業は、経営方針を対外的に明確にす る、(2)SEC(証券取引委員会)に提出する財務諸表は、透明性を維持する、(3)経営者、被雇用ともに自己責任を旨とし、信賞必罰に服する。成功すれ ば多額の報酬が得られ、失敗すれば企業から去ることを原則とする、等々がその内容であると見なしてもよい。
ところが、エンロン事件は「一部の腐ったリンゴ」であるどころか、1990年代を主導してきた米国式企業統治の無理さがもたらしたものではないのかと いった反省が、米国のあらゆる層の人々に生まれつつある。日本では、米国式の時価会計導入が本決まりになったが、本家の米国では、そうした会計基準の見直 しをも含めて、米国式統治は正しかったのだろうかとの疑念に駆られる人々が日々増えている。現在の苦境から脱するためには、米国型を内容とするグローバル スタンダードに則らなければならないと、まだ多くの日本の経営者が考えているまさにその時に、米国で日本的経営の良さを再認識する機運が生まれているので ある。望ましい企業統治をめぐる両国間の認識のズレに私たちはもっと注目すべきである。

パスカルの反撃

かつての「日本的経営」の賛美者、リチャード・ターナー・パスカル(Richard Pascale)が、十数年ぶりに米国のマスコミに頻繁に登場するようになった。彼は、『日本的経営』(The Art of Japanese Management, 1981)の著者であるが、最近『カオスの縁の波乗り』(Surfing the Edge of Chaos, 2000)を著した(Mark Millemann, Linda Giojaと共著)。
このなかで同氏は、日本のホンダの賛美者としての姿勢を依然として堅持し、伝統と改革の狭間の中で、企業はつねに、「問題の中で生き」なければならないこ とを説いている。さらに最近の彼は、エンロン事件に関連して、企業がいかに変化に対応しなければならないとしても、企業にとっての変わらない重要性とは、 企業が社会的な責務を引き受け、不正があれば社会的に制裁されるというシステム設計が必要であると論じて、マスコミの注目を浴びている(『ビジネス・ ウィーク』、 2002年8月26日号)。同氏は、米国式統治の行き過ぎが企業経営者から社会的責務の観念を希薄化させたというのである。

企業の実質価値とは何か

企業の発展にとって、企業の一体感がとりわけ重要であり、そのためにも労使協調路線を企業は文化として取り入れるべきであると宣言し、実際に実践してかなりの成果を挙げた「スプリングフィールド・リマニュファクチュアリング社」(Springfield ReManufacturing Corp.)のCEO、ジャック・スタック(Jack Stack)の日本的経営論が注目を浴びたのは、1980年代後半のことであった。彼はここ10年間、MIT・スローン・スクールのビジネス・コースの夏期講習を続けていたが、全米から人を集めたのは初期だけで、最近では人気が凋落していた。
しかしその彼も、『生まれつつあるもの』(A Stake in the Outcome: Building a Culture of Ownership for the Long-Term Success of Your Business, 2002)の共著者として復活した。企業の「実質価値」(Real Values)とは株高の演出のことでなく、会計書類上の数値的利益のことでもなく、社会的に有用な価値(社会における存在感)のことである。企業内部、そして社会における「信頼、一体感、公正」(Trust, Integrity, Fairness)こそ、ビジネスマンが目指す必要があり、そこから投資家の信頼回復を図るべきである、というのがスタックの過去一貫した主張であった。エンロン事件以降、彼もまたマスコミに注目されることになった。

分配資本主義

エンロン事件以降、マスコミがもてはやすようになったもう一人にハーバード・ビジネス・スクールの女性教授、ショシャナ・ツボフ(Shoshana Zuboff)がいる。同氏は最近、共著で『基盤経済』(The Support Economy: Why Corporations Are Failing Individuals and The Next Episode of Capitalism, 2002)を著した。もともと情報経済学を専門とする氏は以下のように主張する。現在の米国企業は、従業員の帰属意識を著しく希薄化させていて、彼らの勤 労意欲を喪失させている。企業の株式価値を高めることに汲々としてきた米国企業は、従業員、顧客、社会との関係を損なってきた。いまこそ、米国企業はコ ミュニティの概念を復活させるべきである。なるべく多数の株主が企業経営に関心を寄せるべきであるのに、いまでは、一握りの経営者に権力が集中し、彼らに 利益が重点的に配分されてしまって、経営者以外の人々の企業参加意欲が著しく減退させられてしまっている。必要なことは、企業に関与する人々がなるべく平 等に利益を分配するシステムの創設である、と。
そしてそうしたシステムをツボフは「分配資本主義」(distributed capitalism)と呼ぶ。所有がなるべく多数の人々に分配され、なるべく多くの人々が経営に関与し、社会の中で企業が生きて行く価値を見出すこと、 これが「分配資本主義」である。『ビジネス・ウィーク』では、現在の米国社会の苦境から脱出する最重要の鍵がこのツボフの提案であるとまで言い切っている (2002年8月26日号、43ページ)。

合意形成の重要性

さらに『ビジネス・ウィーク』の2002年9月16日号では、キャノンの社長、御手洗冨士夫の日本的合意形成の積極的意味が、「彼は、キャノンを回帰さ せた」(He put the Flash Back in Canon)というタイトルで説明されている。23年間も米国に滞在し、米国式企業経営手法を駆使することによって、キャノンUSAを一級の会社に押し上 げた立役者の御手洗氏が、最近では急速に日本的経営に回帰しつつあると同誌は指摘する。最近の彼が取っている手法は、重役陣、従業員全体の合意形成に膨大 な時間を取るというまさに日本的企業統治である。しかし同誌は、それがキャノンの活力の真の源泉になっている、と手放しで御手洗氏を誉めているのである。
現在の苦境を切り抜ける唯一の道は米国式一辺倒ではなく、日本的な文化を踏まえて、当該企業で働くことの生き甲斐を従業員に感じさせることであること が、ようやく、米国においても意識されるようになってきたのである。いまこそ、「日本的企業統治」の発見に私たちは全力を注ぐべきときである。


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