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所長コラム2:土佐堀川が育んだ改革者たちの言葉(2)

本山美彦(国際経済労働研究所理事長兼所長)

3. ジョージ・オーウェルが糾弾した簡便な言語=「ニュースピーク」

恐ろしい監視社会を描いたジョージ・オーウェル(本名はエリック・アーサー・ブレア、1903~50年)の小説『1984年』(1949年出版)は、あまりにも有名で、紹介するまでもない衆知の内容だが、現代社会の右傾化との関連で「ニュースピーク」を語りたいので、監視社会とは別の視角からこの小説のテーマを素描する。  この小説は、過去に、人民の蜂起による社会主義革命を成功させた前指導者を追放して絶対的権力を握った「ビッグブラザー」が、社会主義の本来の思想を変えてしまい、革命の歴史も改竄して、人民のあらゆる考え方、生活のあり方を統制する様々の文明の利器(その1つがテレスクリーンという、いまのスマホに似たもの)を開発・悪用する体制を作り上げたという内容である。

小説の中の専制国家「オセアニア」は、以前は、民衆の幸福を実現させる崇高な目的で革命を実現させた社会主義国家であった。しかし、いかに心の美しい革命家であっても、権力が彼を腐敗させてしまう。革命政権を打ち立てたこの指導者を打倒して、新たな権力を握った「ビッグブラザー」が作り出した体制が「イングソック」(旧い英語を変えて作り出された新しい英語という言語を使う人々の社会主義)である。

国民は、権力機構を維持することのみを目的としている。社会福祉や国民の幸福という歯の浮くようなキャンペーンを垂れ流し、社会主義という崇高な社会を実現させるために、国家は、国民を護ると繰り返し国民に訴えている。しかし、それは単なるスローガンであって、政策は、権力を維持するためにのみ展開される。

社会主義を目指して革命が行われるのではない。そのような口実の下に、権力を握るだけの目的で革命が遂行されるのである。

そのために開発されたのが、「ニュースピーク」(新言語)であり、心理学の奥義を究めて訓練された「二重思考」である。  「ニュースピーク」とは、元々の言葉(英語)を、極端に分かり易く、短い音節からなる、リズム感に溢れた言葉である。新言語には、多様な意味を持たせず、単純で無内容なものをよしとする。そのような新言語が開発され、メディアを総動員して、権力者たちは、国民にその言語を浸透させる。映画も、歌も、絵画も、分かり易いということが絶対的使命になる。そうした、分かり易いが、内容のない言語が、あらゆる生活環境を満たしている。

英語圏で社会主義革命を成就させた国家を簒奪した、新しい「ビッグブラザー」という名の権力者(彼が、実際に生きているのか否かは国民には分からない。誰も実物を見ていない)は、自国を「イングソック」(EngSoc)と表現した。革命直後の国家は、「英語圏の社会主義」(English Socialism)であったが、新しい全体主義国家の「イングソック」は、まったく社会主義の内容を表現していない単なる符号である。そこにはいかなる意味でも、権力批判の思想が入る込む余地はない。

たとえば、「ニュースピーク」の日常用語である「フリー」(free)には、旧い言葉が持っていた「政治的自由」、「抑圧からの自由」といった意味は排除されている。ただ「~がいない」という非常に狭い意味だけが付与されている。「雑草がない」、「外注がいない」という使い方に「フリー」は限定されている。

日常用語では、政治的な連想を呼ぶ言葉は徹底的に排除され、リズム感と短かい感覚のアクセントだけが強調された。  国内の人口のほぼ90%弱は「プロレ」(旧プロレタリアートから労働者階級という意味を剥奪された新言語)と言われる庶民である。庶民には、低水準の笑い、下品な芸能、単純なリズムで踊りたくなるような大音響の演奏、あくどいポルノ映画、等々、愚民化政策を狙った娯楽がふんだんに提供される。そうした娯楽にたっぷりと浸ってしまった庶民が、プロレタリア意識に目覚めて革命的な蜂起に立ち上がることはまずない。監視社会であっても、この階層は徹底的にものごとを深く考えない享楽的なミーハーにされてしまっているので、むしろ美味しい餌を投げ与えておればよいだけのことである。「プロレ」が「ビッグブラザー」の権力機構を支えている。言うまでもなく、彼らが「憎悪の週間」の主たる担い手である。この週間には、仮想敵(社会主義を実現させた前の支配者)を罵倒するお祭りが全国各地で開催される。権力側は、彼らを飽きさせないように、時折、新しい低俗な娯楽を投げ与えていさえすればいい。

体制側の最上層部は「党内局」と呼ばれ、権力を掌握しているごく少数者である。彼らは権力保持のためにあらゆる企画を講じる超エリート集団である。

権力側がもっとも怖れているのは、庶民(プロレ)と「党局内」との間にある人口当たり数パーセントの中間層(「党外局」)である。これら中間層は、権力の代行者であるが、その思考能力の深さによって、反権力に向かう可能性を常に秘めている。権力側が怖れているのは、これら中間層であり、「ニュースピーク」は、彼らを主たる対象にして開発されたものである。「ニュースピーク」の威力を最大限にするためには、難しい概念を簡素化するとともに、心理学の最新の成果を生かした「二重思考」を彼らに植え付けなければならない。

新言語では、名詞が動詞の意味にも使われる。語尾に「-ful」をつければ形容詞にも副詞にもなる。動詞の不規則変化はなく、「-ed」をつけさえすればよい。名詞の前に「ante-」をつけると「~の前」、「post-」をつけると「~の後」、「plus-」をつけると「とても~」、「plusgood」は「とてもよいこと」になる。「un-」をつけると「~でない」。いずれの単語も、軽い意味に限定される。「ungood」は「良くない」というだけで、「bad」(悪い)ではない。そもそも、「bad」という言葉はない。

したがって、「ビッグブラザー」は悪人だと表現する言葉はない。

まさに、現在の「LINE」や「ツイッター」の「いいね」とか「シェア」、「拡散」の言葉が70年前のジョージ・オーウェルの「ニュースピーク」に匹敵する。

現在のスマホの世界の「いいね」には「駄目」がない。「シェア」は、「乏しさを分かち合う」という意味を消し去り、「賛成」という意味に使われる。発信人の考え方に賛成し、その賛成を他人にも共有してもらうべく、その考え方を転送することを「拡散」という。本来の「拡散」の意味、つまり、凝縮されていた真理が、ばらばらに飛び散る「雲散霧消」状態になって、中身が薄っぺらなものになるという意味は、完全に霧消してしまった。

現在こそが、オーウェルを怯えさせた「ニュースピーク」の時代なのである。

こうした極端に単純化された「ニュースピーク」に「二重思考」の教育が加わる。

人間の考え方には常に絶対矛盾が存在する。「民主主義は善である」、その民主主義を護るためには、それを破壊する異端分子たちを抹殺しなければならない。したがって、「民主主義を標榜する国家権力の反対勢力への弾圧は容認できる」。これが「二重思考」である。「国家は民主主義の擁護者である」、しかし、「国家は厳密な意味での民主主義の破壊者でもある」。この絶対的な矛盾を超えるものこそ、「国家への永遠の愛」である。「愛」こそが絶対的矛盾を乗り越える人の「善の心」である。

このように、マルクス的弁証法が、独裁政権にとって、じつに都合よく変形されているのである。反対物が相互に克服されて新しい次元の世界を拓くという意味における旧来の「止揚」は、愛による心の「合一」に落とし込まれる。

「ビッグブラザー」の支配をはね除ける潜在力を持つ層が、「プロレ」ではないかと思い、密かに改竄された社会主義革命の真相を調べて行くうちに、信頼していた人に裏切られ、投獄され、「ニュースピーク」と「二重思考」の秘術を徹底的に施されて、小説の主人公は「心の底から」、「ビッグブラザー」を「愛」し、銃殺される喜びに浸ることになる。

小説では、二重思考の用い方が、秀逸である。 芥川龍之介の「羅生門」のテーマがそうであった。「生きるためには」、「悪」と承知しつつも悪人の老婆の身ぐるみを剥いだ小心な下人が典型的な「二重思考」の持ち主であった。

AIロボットや車の自動運転技術の開発に鎬を削るIT専門家たちは、自分たちの輝かしい頭脳が、人々から多くの働き口を奪い去ることを心の底では怯えながら、それでも、技術開発は止めないという専門家たちも、この「二重思考」で良心の呵責から逃れている。  核兵器の禁止を訴えて著名になった科学者たちは、そもそも原爆という悪魔をこの世に送り出すべきではなかった。彼らは、原爆開発時に、本当に、原爆が世界平和をもたらすなどと信じていたわけではあるまい。


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