本サイトへ戻る
カテゴリー一覧

【2011年1月号】政治は、「人格」「人間力」を取り戻せ

新年おめでとう。2011年が明けたが、今年の新年はあまり気が晴れない。しかし、ようやく一筋の明るさが見える。それは小惑星探査機「はやぶさ」が7年間、宇宙空間を傷つき迷いながら遂に微量の宇宙の砂を回収してその砂が有益であったこと、そして2人の日本人化学者がノ―ベル賞を受賞する栄誉に輝いたことである。もとよりその陰に、金星探査機「あかつき」が逆墳射に失敗して宇宙の涯に消えたことがある。しかし、科学の世界でのこのような画期的な成果はスポーツの世界での成果と共に、「人間力」の限界への挑戦というか、未知の世界への挑戦として人々を励まし、生きる力をサポートする。何よりも少年少女を励まし若者を鼓舞し未来への希望を拓く。いつ遭遇してもすがすがしいものである。

今、教育が社会問題となり、そのありようがしばしば議論になるが、百の教育方法のあれこれよりも、達成された成果を生み出した体験やその生きざまから学ぶことが重要である。すなわち「人間力」の探究である。

戦後教育の世界で失われたものにそれがある。戦前の教科書は修身といい、国語といい、歴史においても至るところに偉人・成功者・努力家の生きざまがちりばめられていた。「人から学ぶ」ことを教えていた。ところが戦後の教科書からは、この種のものが大幅に失われた。それは、「民主」「自由」というスローガンの下に、目上や先輩への尊敬やそこから学ぶという思想そのものを排除したように思われる。教師は単なる教える技術者となり、尊敬やその人格を通じて学ぶという対象から外される。親もまた子供に教師への尊敬を教えず、同時に良導者としての権威を自ら失う。教師も同様である。

このようにして、親も教師も上司も人格を通じて導くという「人間力」への関心も能力も放棄してしまったのである。そこでは「教育はカネで買う」商品と化した。そして「心の癒し」もカネで買う商品となり、いたるところでカネを媒介にした「まがい」宗教・癒し業が流行る。もとより、すべてがそうとは言えず、戦後世界でもこれに逆らう様々な努力や営みがあったはずである。

今、政治の世界がますます混沌としつつある。「政治とカネ」が常なる課題となり、「言行一致」をわざわざ掲げた内閣が「言行不一致」の限りを尽くす。「人格の触れあい」を忘れた「哀れ」な「三百代言」が政治に蔓延し過ぎた。少なくとも、「人格」「人間力」こそが始まり、を取り戻せ。(伴)


地球儀 の他の最新記事