本サイトへ戻る
カテゴリー一覧

【2010年1月号】新興国群の迫力と「脱欧入亜」が厳しく現実化する年

新年おめ でとう。昨年は世界金融恐慌を受けて大変な年だったが、一応の回復が見えながら出口が見えず、2番底の到来さえ危惧されている。干支からいえば今年は庚寅 の年。寅年は荒れるとのが伝承であり、恐らく波乱が続くのではないか。それで、ゲンを担ぐのではないが、60年前の庚寅の年を見ると1950年となり、朝 鮮戦争が始まった年、前年は中華人民共和国成立の年で、まさしく戦後アジアの転換点のはじまりともいえる。さらに60年を振り返ると、1890年=明治 23年で、第1回衆議院選挙があり、板垣退助の東京での愛国党、立憲自由党・国民自由党など各政党が生まれ、第1帝国議会が開会され、教育勅語が発布され た年、さらに東海道全線開通・東京―横浜間電話開通などインフラの確立した都市でもある。前年明治22年は帝国憲法発布の年、その前年には市制・町村制が 公布され、わが「国のかたち」がほぼ固まった年といえる。この後間もなく明治27年には日清戦争が起こる。このように見てくると、干支はめぐって今年の庚 寅年も波乱の年を思わせる。

福沢諭吉は明治初頭に、「脱亜入欧」を唱えた。この解釈をめぐっては様々議論があるが、日本近代化の方途を提唱したことは疑いない。ただ、わが国は、上 に見るように「国のかたち」の確立の過程で日韓修好条約の締結、そして日清・日露の両戦争に勝ち、さらに第1次世界大戦を通じて、中国大陸の一角及びアジ ア太平洋の島嶼に領土を確保し、アジアに大きくコメットしていくこととなり、それが満州事変・太平洋戦争へと大きくアジア支配に連なった。

アジア問題は今日のわが国にとって、これらの時代と異なって大きなかかわりを持つ。しかし、この2010年代という時代は、戦後はもとより20世紀後半 とも大きく異なる。すなわち、20世紀末から21世紀初頭におけるわが国のGDPは世界の15%―第2位であり、米国は第1位―35%であり、この2国で 世界の50%、EUなどを加えた先進国のシェアは8割に達し、他の2割の中に約160カ国がひしめき合っていたのであるが、2010年に中国がわが国を凌 駕して世界第2位に達すると見られ、米国もその地位は低下する。2007年における各国の世界に占めるGDP比をみると、米国25%・EU30%・日本 8%・中国6%と大きく様変わりしている。この他では、ASEAN2.3%・ブラジル中心のMERCOSUL3.3%・インド2.1%となっているが、中 国とこれら新興国群を加えると15%となり、この他の地域の新興国群を考慮すると世界に占める新興国群のウェイトが高まり発言力も大きくなったことも容易 にわかる。これから推察して、2015~20年の世界での新興国群の迫力はいうまでもない。アジアで考ればむしろ「脱欧入亜」が基本となることは明らか で、まさしく2010年という年は、それが厳しく現実化する年といえそうである。(伴)


地球儀 の他の最新記事