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1.【マレーシア】マレーシアの労使関係

國分 圭介(社団法人国際経済労働研究所 主任研究員)

今回から始まる新コーナー「海外の労使関係」、記念すべき第1回は、弊所が駐在員事務所を置くマレーシアを取り上げたい。具体的には、日本でもその導入の是非を巡って論争がある「外国人労働者」の動向を中心に、この国の労使関係とその変化をお伝えしたい。

1.外国人労働者に依存した経済

マレーシアが抱える最大の問題は、労働力不足である。マレーシアの人口は、2008年現在でわずか2,746万人に過ぎず、タイの6,400万人、ベトナムの8,100万人、インドネシアの2億2,000万人と比べて格段に少ない。加えて、長年に渡る高度成長の結果、一人当たりGDPは7,000ドルを超え、域内の工業国としてはシンガポールに次ぐ高い経済水準に達している。こうした、人口の希少性と高い経済成長の相乗効果により、マレーシアは途上国でありながら、既に完全雇用・人手不足の経済なのである。その人手不足を補うために、インドネシアなどから大量の外国人労働者を受け入れている。

外国人労働者は、かつては主に建設現場やプランテーション農園などに雇用されていたが、近年では工場の生産現場にも多く進出している。彼らの就労ビザは1年毎の更新の後、3年間で期限が切れる(ただし、雇用者の申請によって最大で5年間まで延長雇用ができる)。彼らの目的は、「契約期間の間に出来るだけ多くお金を稼ぐこと」である。そのため、遅刻や無断欠勤などほとんど無く、残業や「3K労働」を厭わずに一生懸命働くことで、多くの企業経営者から高い評価を得ている。

2.外国人が必要なのは、マレー系のせい?
一方、マレーシア人労働者はどうか。やや脱線するが、後の議論のためにマレーシアの「多民族性」についても触れておこう。マレーシアの人口構成は、マレー系が約66%、中国系が約26%、インド系が約8%、その他が約1%である(それぞれ、マレーシア国籍の住民に占める比率で、外国籍の住民を含まず)。このうち、製造現場の作業者は主にマレー系で、中学・高校などの中等教育出身者である。一方、事務所のスタッフは、大学などの高等教育出身者でいずれの民族とも一定程度存在するが、民間企業では、管理職、或いはそれに近いポジションほど華人の比率が高まる傾向がある。管理職にマレー系の比率が低い理由としては、日本人出向者の間では「民族間の資質の違い」を挙げる声が大きいが、「優秀なマレー系ほど将来性や安定性の高い政府系企業を選好し、日系を含めた民間企業を倦厭している」(某大手日系メーカー・マレー系管理職の談。彼女はほどなくして政府系企業に転職した)という点も、小さくない要因である。民間企業の現実を大雑把に描写すれば、下にマレー系と外国人、上に中国系、外資系であればさらにその上に外国人という構図になる(下図参照)。 

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さて、製造現場の大層を占めるマレー系の働きぶりはどうだろうか。残念ながら、外国人に大きく水をあけられているのが現状である。彼らの多くは、入社して数ヶ月、場合によっては数日で会社を去っていく。ラマダン(イスラム教の断食月)明けの長期休暇時には、帰省したまま会社に戻ってこない従業員も珍しくない。遅刻や無断欠勤も多く、残業や「3K労働」を嫌う。そのため、多くの企業では、マレー系よりも外国人労働者が好まれる傾向にあり、日系でも、法律で規定されている採用枠を上限一杯まで使って外国人労働者を雇用している企業が少なくない。

もちろん、マレーシア国籍の正規従業員であれば、外国人労働者には無い特典がある。たとえば、民間企業の多くは、彼らに勤続年数に応じて手当てを支払っている。また、昇進の道が開かれているのも、原則として正規従業員のみである。しかし、その手当ては、離職を思いとどまらせるほど高いものではない。最低賃金を規定した法律は無く、入社当初の基本給500リンギ(日本円では13,000円)程度が、10年以上勤めてせいぜい1,000リンギ(日本円では26,000円)程度になるだけの話である。退職金制度を設けている会社も極めて稀である。昇進も、ほとんどの場合は生産現場内に限られ、せいぜい係長になれるだけである。さらに、マレーシアには包括的な国民健康保険制度が存在しない。ほとんどの企業は従業員のために何らかの健康保険を導入しているが、補償の限度と包括性についてはバラツキが大きい。このように、正規従業員とはいっても、日本とは待遇の面で雲泥の差があり、彼らの低いモラールや高い離職率の原因となっている。

3.外国人をめぐる労使対立
外国人労働者については、労使で見解が対立している。マレーシア労働組合会議(MTUC=Malaysian Trades Union Congress。民間企業労働組合の中央組織)は、企業の外国人依存体質がマレーシア人の低い待遇をもたらしているとして、長らく外国人労働者の締め出しを主張してきた。一方、政府は、生産性の維持を理由として締め出しに反対するマレーシア経営者連盟(MEF=Malaysian Employers Federation。民間企業経営者の中央組織)の意向を汲む形で、外国人の受け入れを継続してきた。なぜ、政府は労働組合よりも企業よりの姿勢を取ってきたのか。

ここでは、主な理由の一つとして、MTUCの主張が労働者全体の声を代表しているとは言い難い点を挙げておきたい。1980年代、「労組を国家と資本に対する社会的なパートナー」と位置づける「マレーシア株式会社」構想がマハティール首相(当時)によって打ち出されたことを受け、企業内組合の設置が進展した。しかし、組織率は今日でも13%程度と低く、日本の18%程度に比べても見劣りする。また、組合の幹部は、人口比率では8%を占めるに過ぎないインド系が務めることが多く、労働者の大半を占めるマレー系にとって求心力の面で問題がある。加えて、企業内の活動家は、もっぱら企業福祉の向上に関心を持ち、他の組織との連携にはあまり積極的ではない。その他、外資を中心に10万人以上の労働者が従事する電子産業に至っては、法律上、産別組合を結成することすら認められていない。このような状況であるため、外国人労働者の問題に対しても、MTUCの声が大きな変革を呼ぶことはこれまで無かったのである。

4.金融危機を契機に外国人依存から脱却を目指す
しかし・・・である。こうした外国人依存体質は、2008年後半からの景気後退を契機として、急速に変化しつつある。2009年1月、3万人近いマレーシア人労働者が失職している現状を受け、マレーシア政府は、自国民の雇用確保のために外国人労働者の新規雇用を一時凍結した。しかし、わずか半年後の同年7月には、景気の底入れにより多くの企業で人材不足が顕在化したことを受け、また、マレーシア日本人商工会議所(JACTIM)などの熱心な働きかけもあり、電気・電子と繊維産業に限り外国人労働者に対する新規雇用の凍結が解除された。

とはいえ、その後も外国人労働者の数は減少を続け、同年7月から9月までのわずか2ヶ月間で20万人が出身国に帰国した。これは、政府が、人材仲介会社への新規免許を凍結し、また企業に対しても外国人の採用枠を厳格に順守するよう求めていることなどに起因するものである。

明らかに、マレーシア政府はこれまでの姿勢を一転して、今回の金融危機を契機として外国人依存体質から脱却しようとしている。これは、必ずしもMTUCの主張を尊重してのことではない。むしろ、中国やベトナムなどの新興国の台頭を受けてマレーシアの国際競争力が不安視される中で、マレーシア人の給与水準を底上げしてモラールを高め、高付加価値型の経済構造に移行することを目指しての転換である。政府は、上で述べた施策の他にも、外国人労働者を雇用する企業への課徴金の引き上げや、電子、繊維、接待、警備の4業種への最低賃金の導入により、企業にマレーシア人を採用するインセンティブを与えることを検討している。さらに、フレックスタイム制や託児所の設置を推進し、女性の社会進出を促していく考えを示している。

こうした動きは、これまでの労使関係のあり方を根底から覆すものであり、一歩目論見が外れれば、マレーシア経済の高コスト化と外資系企業の縮小・撤退、成長率の鈍化などを帰結しかねない。今後も、マレーシアの動向を注意深く見守っていきたい。

 『Int'lecowk―国際経済労働研究』 2010年1月号(通巻996号)掲載 

 


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