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【2008年8月号】朝日新聞コラムの「死神」論評にもの申す

朝日新聞(2008年6月18日、夕刊)のコラム欄に、鳩山法相が死刑執行のサインを引き続き行ったことについて、「死神」と嘲笑的な言辞を弄する文章 が載った。筆者はこれを読んだとたんに不届きな記事と感じたが、おそらく多くの読者もそうであったと思う。もともと死刑執行については、多くの法務大臣が 任期中に執行せず、大量の未執行があるとされている。現在6万人の囚人がいて、その中無期懲役1,700人、死刑囚102人で、07年に確定した死刑囚が 23人、鳩山法相が執行した死刑は13人といわれる。

死刑執行を回避した法務大臣は、もしそれが出来ないのなら就任を辞退すればよいのに、なにか理屈をつけて責任を回避してきたのであって、法治国家として 死刑が存在する以上、司法に携わる者はそれを回避することは責任逃れであることは明らかである。山口の母子殺害事件で死刑反対の弁護側が、最高裁からの差 し戻し審に当たって、20人を超える大量の弁護團を結成し、国民一般の常識では理解困難な神がかり的な弁護理由を掲げて審議引き延ばしともとれる法廷闘争 によって、結果的には弁護を貫くこともできず敗退した例があるが、現実に死刑が法定されている以上、司法に携わる者が法廷で死刑反対論によって弁護活動を 行うことが間違いである。オウム真理教の弁護團にしても、最近は司法に携わる者自身が法廷撹乱を図るとか審理引き延ばしを図るとか目に余る行動があるのは 誠に情けない話である。

この朝日のコラムの執筆者が死刑反対論者かどうかは知らないが、法務大臣という法の執行者が通常の執行命令を出したことを、「死神」呼ばわりして嘲笑す るが如きは、非礼であるだけでなく、法を嘲るのと同じ行為であり、筆者からいわすればチンピラやくざと同じ行為である。チンピラやくざというのは、筋の通 らない難癖をつけたという意味である。

大新聞の記者の中には自分が何様かも認識できなくて特に無記名の場合暴走することがある。朝日の戦後の例では、2つの大ポカでっち上げ誤報があった。1 つは、50年代の日共幹部地下潜行時代の「伊藤律との単独会見スクープ」であり、もう1つは80年代沖縄海底における「記者自身がサンゴに傷つけた上でそ れを心なき市民による自然破壊として喧伝した」写真記事である。

一般記者にとっても極めて迷惑なこの種の無署名の影に隠れた行為が、またあらわれた感がある。最近のインターネット・ホームページ書き込みやブログにお ける手前勝手な落書きに近い書き込みと同様に、情報社会においては、特に作法ともいうべきつつしみや自己規制が求められる。今回の例は、大新聞執筆者のこ の種の逸脱の事例といわざるを得ない。(伴)


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