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【2007年10月号】初秋のウラジオストックに想う―動きだしたロシアの太平洋進出―

9月に 入ってウラジオストックに数日出かけた。昨夏は久しぶりにモスクワをはじめロシア各地を訪れ、その成長ぶりを確かめたが、それと関連して、プーチン体制の 動向とのかねあいで、北方4島問題も含めて極東ロシアが気になっていたため、丁度よい機会として出かけたのである。

今回は、筆者の属する大阪産業大学のアジア共同体研究センターのプロジェクトの1つとして、ロシア科学アカデミー極東支部地理学研究所との共催による 「北東アジアにおける経済連携強化」をテーマとしたシンポジウムのために訪れた。日ロをはじめ韓国・中国・タイなどからの発表者と現地参加者が多数参集し た。ロシア側の石油・天然ガスなどエネルギー問題に関するパイプラインの敷設やそれにかかわる環境問題についての報告、ロシアの極東経済政策にかかわる報 告が注目された。その他、中国・韓国・北朝鮮などのエネルギー問題の報告もあったが、このシンポジウムの背景にはかなり画期的なものがあった。

それは、石油やエネルギー資源によるロシア経済のブームに対して、ロシアの人口減少問題、特に極東の人口減と労働力不足、それに対して、中国からの大量 の担ぎ屋型の人口流入・定着や朝鮮族人口の増加などロシアの移民・労働力政策が注目されている。この問題に対して、プーチンは大変な危機感を抱いており、 石油など資源開発や輸送管敷設のみでなく、大規模開発投資による極東開発に1兆円規模の投資や巨額の児童手当制度の創設なども決定している。その政策の根 本は、極東開発によるアジア太平洋への積極的進出と、そのための拠点としてのウラジオストック再開発にある。同じ頃、オーストラリアで開催されたAPEC 首脳会議にプーチン自ら出席して、2012年にウラジオストックにAPEC首脳会議を招致することを提案したのである。これは昨年初めてG8をロシアで、 しかもプーチンの出身地サンクトペテルブルグで開催したことに続く快挙である。

ウラジオストックは人口80万人、ソ連崩壊後、この軍港都市は経済沈滞に見舞われ、市場経済化から遅れをとっている。産業は、沿海州の木材や資源の輸出 以外は、日本からの中古車輸入拠点に過ぎない。軍事産業からは一切撤退して、機械工業も造船業もほとんど復活していない。かつて、戦前には小樽や函館をは じめ日本との対岸貿易も活発で交易も盛んであったし、在留日本人が8千人を数え、現在もその日本人街の建物が残っている。現在日本人は80人しか住んでい ない。かつて、ツァー時代のロシアでは太平洋への窓口として美しい港街が建設され、シベリア鉄道の出発点としての壮麗な中央駅や博物館など歴史的建築群と 街並は美しく十分な観光資源を持つ。しかし、今は、それらが廃墟の如く疲れた風情で、外国人向きのホテルもB級のものが3軒しかない。関空から2時間、こ れらの遺産に手を加えれば、旅好きの日本人が押し寄せるだろう。プーチンもそのあたりにようやく気がついたようである。しかし、日本側は未だ用心してほと んど進出の気配がない。その意味で、資源開発に伴う環境対策も含めて、2012年までのロシアの打つ手が期待されるのである。(伴)


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