本サイトへ戻る
カテゴリー一覧

【2006年7月号】超エリート達のニュービジネスの蹉跌

ファイナンスとM&Aをめぐる混乱が多発している。当初はいわゆるホリエモン騒ぎであり、次いで村上ファンド事件で、今度は日銀総裁にまで波及することとなった。未だ楽天のTBS株大量取得による統合問題なども残っているので、さらに波及する可能性がある。

もともとIT革命の若い旗手達によるヴェンチャービジネスは、日本経済にとってもグローバルエコノミーにとっても好ましいことで、今後が期待されたので あった。もとより、80年代アメリカにおけるIT革命が、ITバブルという結果に陥ったことと考え合わせると、その成功の可能性は単純なものとは言えな かったが、まずはさまざまなニュービジネスの発展が好ましいことではあった。ところが、彼らが六本木族として共通の居所を持ち情報交流が進むにつれて、そ の志向が共通して、球団やメディア企業の買収などに向かい、その手段として大量の株式取得に走った。そのこと自体は一般的に事業行動として理解されるが、 その行動様式が、次第にその掲げている企業改革や経営革新から逸脱して、旧来の総会屋的手法による企業乗っ取りやそれを手段にした株式価格吊り上げを通じ ての利ざや稼ぎに陥る傾向となった。

もとより証券市場が存在する限り、このような行動一般は常に派生するものであって、一概に非難されるべきものでないかも知れない。しかし、何故総会屋が 非難されるのか。それは、虚業としての株価操作や株式市場操作あるいはそれを誇大に演出して示談金をせしめることに専念するからであって、そこには証券市 場や企業の革新による経済の活性化といった合目的な営みがないからである。

新しい騎士達は何れも若く超エリートの起業家であり、その意味で期待もされ、評価もされてきたが、証券市場やM&Aの経験の蓄積による蓄財を通 じて、新たな事業行動として、一種の新型「総会屋」に屈折したか、しつつあったというべきではないか。その意味で、その才能や行動を全否定するよりも、む しろこれを契機に原点に立ち戻っての再出発に期待したい。想うに、ネット事業と放送事業の結合という新しい起業形態は、未だ明確な「解」を得ていないし、 その現実性について関係者を説得できていない。しかも結果的には乗っ取り的手法による鞘稼ぎに陥ったことは事実で、説得力はない。やはり、放送で新事業を 言うなら、テッド・ターナーの如きカリスマ性がなければならないであろう。

片や福井総裁は、元の古巣に戻ったという安易さで身辺整理を怠ったもので、現行法や企業内規の不備で違反は免れても、本来的に正すべきは正すべきものといえる。

いずれにしても、自己過信にありがちな過ちのもたらしたこれらの問題は、いずれも惜しむべき人材であり、正すべきは正すところから再出発が期待される。(伴)


地球儀 の他の最新記事