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【第20回】無線ICタグを巡る日米の角逐―第2のトロン紛争か―

はじめに

現在、JR東日本で使用されているSUICA、同じくJR西日本のICOCA等は、無線ICタグと呼ばれる技術の一例である。この技術がもたらす社会生 活への影響は計り知れないほど大きい。まだ専門的技術者にしか馴染みのない用語にRFIDというものがある。RFIDは、"Radio Frequency IDentification"の頭文字を取ったものだが、今の所、日本語訳も定着していないので、ローマ字読みで「アール・エフ・アイ・ディー」と呼ん でいる。"Radio"は「無線」、"Frequency"は「周波数」、"IDentification"は、「身分証明」であるので、RFIDとは、 「無線の周波数を使って物や者の特定をするシステム」の事である。
このシステムは、IC(集積回路)が組み込まれた小片(チップ)に無線周波数を使って、情報を書き込んだり、読み取ったりするものである。このチップを 荷札(タグ)として特定したい物や者に取り付けて、読み取り・書き込み機(リード・ライト機)でチップに盛り込まれた情報を読み取り、書き込むのである。 その意味に於いて、RFIDは、無線ICタグと表現される事が多い。
このICタグの利用範囲はとてつもなく広い。工場から出荷する製品の全てにICタグを付ければ、出荷ゲートを潜るたびにデータが記録され、瞬時にして出 荷データの更新が行われる。全ての製品にICタグが付けられていれば、購入する大量販売店は入荷データを更新できるし、レジで販売されれば販売データも更 新できる。つまり、時々刻々の在庫データが正確に把握できるのである。放牧している牛に付ければ少人数の牧童でも数多くの牛の動きを掌握できる。これは、 生産者や流通業者達の生産・流通システムを一変させるだけでなく、確実に私達の日常生活を変えるであろう。
現在では、レジを通過する商品に付けられているバーコードを読む事によって、販売データがレジに記録される。それはそれで便利である。しかし、膨大な商 品の量の全ての出荷・入荷・検査・在庫データを1つ1つの商品のバーコードを読み取って記録する事は不可能である。大量の商品を一括してデータを読み取る 事ができれば、商品の管理ははるかに容易になる。バーコードに代えて、ネットワーク型のICタグを実用化すればそれが可能になる。

世界標準化を目指す米国

ペンタゴン(米国国防総省)とウォルマートが共同戦線を張って、納入業者に無線ICタグの取り付けを強制している。
ペンタゴンの年間予算は、4000億ドル(約44兆円)もある。この額は、日本の国家予算の約半分である。これは大変な巨額である。ペンタゴンのこの巨 大な購買力は、納入業者に無線ICタグの貼り付けを強制するのに十分な武器となる。ペンタゴンが性急にICタグを強制する背景には、米軍の物流システムの 重大な欠陥がある。湾岸戦争では多くのコンテナが輸送中に紛失したり、到着が遅れて使われず、最終的には物資の4割が砂漠の中に放置されたという。 2003年のイラク戦争でも、ある部隊は、食糧不足の為に砂漠で身動きができなくなってしまった。
2003年10月、ペンタゴンは納入業者(4万3000社を超えると言われている)に対して、2005年1月から、納入する商品の梱包箱の全てに無線 ICタグを取り付けることを義務付けた。これは、ウォルマートとの連携で行われるプロジェクトである。ウォルマートと違って、ペンタゴンは、非常に多数の 規模の小さい納入業者と取引しており、納入業者に号令しさえすれば、業者の方がなんとか工夫して受注者の要請に応えるという環境下にない。従って、ペンタ ゴンはロジスティック面で高度な技術と豊富な経験を持つウォルマートのアドバイスを受けてRFID技術を確立しようとしているのである。
ウォルマートもペンタゴンと同じく、2005年1月以降、ダラス市に限ってであるが、納入業者にRFIDタグを、商品の梱包箱や運搬板に取り付けること を義務化した。対象業者も、同地域の店舗に納入する上位100社に限定した。2006年には、そうした試行期間を経て、全納入業者に広げる予定であるとい う(ダラスだけでなくウォルマートの全店)。
コード体系として米国が世界標準に仕立てようとしているのは、EPC(Electric Product Code)と呼ばれるものである。
1999年10月、MIT(マサチューセッツ工科大学)内にオートIDセンターが設立され、バーコードに代わる次世代の情報読取システムの開発が開始さ れた。この研究開発の布陣は強力であった。米国内に有力な協力企業100社以上を擁し、世界の有力な大学との共同開発体制を整えた。英国のケンブリッジ大 学、オーストラリアのアデレード大学、スイスのザンクトガレン大学とチューリッヒ工科大学、中国の復旦大学、そして、日本では慶應大学が参加している。そ して、2003年秋、オートIDセンターは、EPCシステムの開発・普及を推進させるEPCグローバルと、EPC研究に限定するオートIDに分けられた。

トロン紛争の再現

2003年10月23日に東京で開催されたRFID普及会議の席上、慶應大学環境情報学部教授でオートIDセンター日本研究所の主席研究員でもある村井純 は、米国のEPCが、「現実的な」システムであると繰り返し強調し、EPCシステム普及の日本側窓口である流通システム開発センター専務理事の坂井宏も、 「2005年からの流通標準になる」と言明した。経産省商務情報政策局の新原浩朗は更に突っ込んで、「国際標準でなければ標準たり得ない」と事実上、 EPCを日本でも標準にする事を認定した。標準に仕立て上げるべく国家による介入もあり得るとまで、同氏は宣言してしまったのである。
しかし、すでに日本には、坂村健が展開するユビキタスIDセンターがある。
同センターは、2003年3月に設立され、「Uコード」と呼ばれるRFID技術を開発している。そこには、「日本発の技術を世界標準へ」という同氏の強 い思いが背景にある。ユビキタスIDセンターには、2004年9月現在で、国内の大手IT企業をはじめとする452団体が加盟している。
同氏の発想は以下のようなものである。洗濯機に洗濯物を入れると、洗濯機の中にどんな洗濯物が入っているかを洗濯機自身が自動的に認識して、洗い方を自 動調整する。人にICタグを貼付することで、人が車と接触しそうなときには、その人に貼られたICタグを自動車が読み取って交通事故を回避する。つまり坂 村方式は、小売りのサプライチェーンというよりも、社会インフラの構築を重視している点が特徴である。
坂村は、「人間を取り巻くコンピュータが実世界のモノやヒトを自動認識するための仕組みを提供し、ユビキタス・コンピューティング環境を実現するために 設立した」と同センター設立の経緯を説明している。しかも、坂村方式は、既存の各種IDコードを吸収できる体系になっている。小売りや流通における既存の 情報システムを利用できるという点で、坂村式の方がEPCよりも優れていると言われている。しかし、かつてのトロンOSの時と同じく、坂村方式は国際標準 から閉め出されつつある。
2004年9月10日、東京で「小売業技術サミット東京2004」が開催され、この催しにウォルマートは、本社の国際RFID戦略担当マネジャーのサイ モン・ラングフォード(Simon Langford)を派遣した。同氏は、会場で「RFIDの成熟を待ってはいけない」、「日本でもRFIDの導入を検討して行く」、「多くのチップメー カーが、今後、EPC対応のICタグを作るだろう。それが今後のICタグの単価を引き下げて行くと考えられるので、5セントICタグの実現は早まるかも知 れない」と発言した。
「5セントICタグ」というのは、米国で2006年4月を目標に、EPC方式のICタグ価格を5セントで実現させるプロジェクトの事を指している。

おわりに

かつて米国の圧力に屈して、日本オリジナルの技術であるト ロンを見捨てた最大の張本人は旧通産省であった。そして、またしても無線ICタグの標準についても、旧通産省の後継者である経産省は、坂村方式より米国の EPCを普及させようと開発企業に補助金を付けている。「響プロジェクト」がそれである。このプロジェクトは、2006年8月までに1枚5円で販売できる 国際標準(つまり米国標準)の無線ICタグを開発すべく、メーカーに開発委託費を支払うものである。同省は、2004年度から2006年度までの2年間で 約18億円を投じて、日立にこの開発を委託した。
響プロジェクトは、EPCグローバルの「UHFジェネレーション2」に準拠したタグとリーダー/ライターの開発を条件にしている。このUHFジェネレー ション2は、EPCグローバルが、2004年10月に基本仕様として決定し、2004年11月にISOとしての採用を申請し、UHF帯タグの国際規格 「ISO-8000-6」の一部として盛り込もうとしているものである。しかもこの仕様は、2004年10月になってやっと公開されたばかりで、公開相手 もEPCグローバルのメンバーに限定されている。経産省は、米国以外の方式を排除する露骨な差別政策に、無批判に飛び付いたのである。過去のトロン潰しよ りもひどい仕打ちであると言える。しかも日立は、経産省の委託がある前はEPCグローバルに参加していなかった。経産省が部外者の日立を、EPC陣営に取 り込んだのである。
予断は許されないが、日本では、標準化を巡る綱引きが官庁を巻き込んで展開されている事だけは確かである。


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