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【第15回】ディズニー社CEOアイズナーの蹉跌

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米国の娯楽・メディア大手のウォルト・ディズニー社に対して、米国のケーブル・テレビ最大手のコムキャストが買収提案をしたのは、2004年2月11日 のことであった。ディズニーの取締役会はこの買収提案を拒否したが、コムキャスト側は敵対的買収に移行する構えである。しかも、米国のジャーナリズムはコ ムキャストの買収が実現するであろうとの観測を軒並み打ち出している。『ビジネスウィーク』などは、買収を当然のこととして、買収後の米国巨大メディアの 動向の分析をしているほどである(2004年2月23日号)。
米国のジャーナリズムが今回の買収提案が実現するであろうと観測した根拠は、ディズニー側の最高経営責任者(CEO)のマイケル・アイズナーのあまり にもコーポレート・ガバナンス能力のなさへの失望、マードック率いるニューズコープとロバーツ率いるコムキャストの株式交換という武器を通じる企業吸収 の威力、マードックを重宝する米国連邦通信委員会(FCC)のブッシュ・ジュニア大統領へのひざまづきぶりを見ているからである。ちなみに、FCCの委 員長マイケル・パウエルは、コリン・パウエル国務長官の子息である。
コムキャストがディレクTVを買収しようとしたときには、FCCは拒否したのに、マードックのニューズコープが買収するときには、それを黙認した。ブッ シュ・ジュニアのイラク侵攻に対して170を超えるメディアを動員して、ブッシュ・ジュニアを積極的に応援したマードックへの論功行賞が、米国最大の衛星 放送会社のディレクTVをマードックに差し出した真の理由であろう。これは、2003年12月19日に実現した。
この決定にもっとも危惧を露骨に表明していたのが、コムキャストCEOのブライアン・ロバーツであった。ロバーツが2004年3月3日に株主総会がある ディズニーに対して、株式交換による合併を提案したのは、2004年2月11日のことであった。FCCから煮え湯を飲まされ続けたコムキャストにとって、 FCCがマードックに有利な裁定をしたことは光明であった。小が大を飲み込む(ディズニーの方がコムキャストよりも売上高で50%も大きい)今回の買収提 案をFCCは拒否できないであろうとの読みをコムキャストCEOのロバーツはしたと思われる。事実、ロバーツは、自分たちは、ディレクTVを買収した ニューズコープの先例に従うとの声明を出した。これは、FCCを強迫した行為以外の何ものでもない。
2月11日の買収提案はディズニー株1に対してコムキャスト株0.78株を交換する、というものである。買収案が公開された前日の2004年2月10日 終値で換算すれば、この条件はディズニー側に約50億ドルのプレミアムを提供するものであった。ディズニーが抱える119億ドルの負債も引き継ぐというこ となので、買収総額は約660億ドル(約7兆円)にもなる。この株式交換によって、ディズニーはコムキャスト株の約42%を取得することになる。衰えたり とはいえ、ディズニーの年間売上額はコムキャストのそれの1.5倍もある。ところが、株式の時価評価になると、コムキャストがディズニーの2倍を超えてい るのである。小が大を飲み込む。株式交換方式による企業の吸収合併の怖さはまさにここにある。コムキャストは18か月前には、同じく自己よりも大きく当時 ケーブル・テレビ界で全米で第1位だった(コムキャストは当時は第3位)AT&Tブロードバンドを株式交換で吸収したという実績がある。ロバーツ によるディズニー買収声明にも、この実績が誇らしげに語られている。つまり、小が大を飲み込む大胆な行為を自分たちは実際に成功させた実績があるというの である。買収後の新会社は、従業員17万人という、メディア企業としてはタイムワーナーに次ぐ巨大さになる (http://www.comcast.com/pressroom/viewrelease.asp?pressid=177)。

アイズナーの栄光

それにしても、アイズナーは企業統治面で最悪のCEOであると非難されても仕方のない誤りを次々と冒してきた。
しかし、アイズナーは、1994年までは順調であり、ディズニー中興の祖としての尊敬を会社の内外から集めていた。彼には、1970年代後半にパラマウ ント映画でヒット作を連発してきたという実績がある。「フラッシュ・ダンス」も彼のプロデュースである。1984年にウォルト・ディズニーの甥のロイ・ ディズニーに請われて会長として赴任する。弱冠42歳の若さであった。そのさい、パラマウント時代の有能な部下であったジェフリー・カッツェンバーグを引 き連れてきた。彼は、業績の低迷していたディズニーを、当時の社長のフランク・ウェルズと3人で一挙に浮上させた。
まず、それまでの子供向けアニメと違うジャンルの大人向け映画制作部門「タッチストーン」を設立して、「スプラッシュ」、「プリティウーマン」などの ヒットを連続させ、映画部門を稼ぎ頭に押し上げた。そして、余勢をかって、1960年代以降低迷していたアニメ部門をも強化した。「リトル・マーメイ ド」、「美女と野獣」、「アラジン」と、これまたホームランを矢継ぎ早にかっ飛ばした。1990年代前半はまさにアニメ全盛時代であった。1994年のア ニメ「ライオン・キング」は爆発的な大当たりであった。アイズナーが入社した1984年のディズニーの映画収入はわずか2億4450万ドルであった。これ を彼らは、1994年に47億9330万ドルにまで引き上げたのである。実際、大変な貢献であった。

暗転

しかし、「ライオン・キング」が公開された直後、社長のウェルズが飛行機事故で急逝してしまった。そして、後任社長の人事でアイズナーは一挙に社内の人望 を失ってしまう。1994年以降、ディズニーは暗転した。アイズナーは、1995年8月、取締役会に相談せずに自分の旧友のオービッツを社長の座にすえる と宣言し、10月にはそれを実現してしまった。その際、新任社長の俸給・ストックオプション額をアイズナーが勝手に決めてしまった。取締役会はまったくと いっていいほどその問題について議論しなかった。ところが、オービックは信じられないほど無能であった。あるインタビューに答えて、「自分は仕事の1%も 知らない」と言ってしまったほどの判断力のなさを遺憾なく発揮した。
オービックは1996年12月、ディズニーを退職した。ここでも問題が生じた。アイズナーはオービックを「非のない退職」として扱い、巨額の退職金を支 払ったのである。まったくお咎めなしであった。オービックはわずか1年そこそこの在職で、1億5000万ドルもの収入を懐にしたのである。これには、会社 の内外から怒りが巻き起こり、株主代表訴訟にまで持ち込まれた。そして、2003年5月、デラウエア最高裁が原告側の全面勝訴を言い渡した。取締役会のあ まりにも無責任さが指摘されたのである(ミドリ・モール;http://www.eigafan.com/abroad/business/2003 /1216/)。
社長人事のこたごたで、アイズナーは、自身の右腕であったカッツェンバーグをも追い出してしまった。ここでもカッツェンバーグから裁判に訴えられ、3年 後、ディズニーは彼に和解金を支払うことになる。カッツェンバーグは、スピルバーグらと「ドリーム・ワークス」という「ディズニーよりもディズニーらし い」アニメを制作する映画会社を新設し、「エルドラド」、「プリンス・オブ・エジプト」、「アンツ」と次々とアニメを公開し、ついに、2001年度全米興 行成績第1位になった「シュレック」というホームランを放った(http://www26.tok2.com/home/showko/bb-essay /essay6.html)。
アイズナーは、最大の稼ぎ頭であったスティーブン・ジョブズ率いる人気アニメ制作のピクサールとの契約を打ち切ってしまった。なによりも致命的なこと は、巨大メディアが衛星放送、ケーブル・テレビに邁進しているのに、その流れから完全に離れたことにある。
しかも、内部の批判をかわすために社外重役を増やした。これがまたコムキャスト側への情報漏洩につながった。ABCを買収した後、創業者の息子のステー ブン・バークを1986年に採用し、入社後13年にして彼をABCの社長にすえたが、1998年に彼を追い出してしまった。バークは今回買収をかけたコム キャストのナンバー2として採用されていて、買収後はディズニー社長として舞い戻ることになっている。アイズナーは、テーマパークの運営費をけちり、顧客 に飽きられてしまうという大失敗をしてしまった(『ビジネスウィーク』2004年2月23日号, p. 42)。
そして極め付きは、創業者の甥で副会長のロイを2004年3月3日に開催される株主総会の議案の取締役の名簿から外したことである。憤激したロイは、 2003年11月に社から去り、アイズナー批判をウェブ・サイトで展開し、2003年11月30日の『ウォールストリート・ジャーナル』紙に公開したこと である(http://fpj.peopledaily.com.cn/2003/12/01/jp20031201_34566.html)。
どのような形になるのかは即断できないが、いずれにせよ、ディズニー単独でこの苦難を乗り切ることは不可能であろう。なんらかの企業合同は不可避である。


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