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【2015年8月号】政治家の劣化と国会での議論の問題

安保国会が終わった。しかし何と貧弱な議論なのか。
この国会の課題は、米国の威信の低下とギリシャ問題などEUそのものの動揺、そしてアジアでは中国の南シナ海における国際法違反の疑いのある領海侵犯や公海侵犯による基地建設の横暴など、今までになかったシヴィアな国際関係の展開があり、安全保障にかかわる法制の深化など、国会の論議を通じて国民的認識を高めるべきものであった。ただ、安倍内閣は自ら認めるように安保論議について掘り下げる時間をかけず急いだ感があり、加えて与党たる自民党は国会における論議を広く詰める態度が不足した。他方、野党は民主党が共闘路線を主張した割にはそれが実現しなかった。これは民主党が安保問題について先に述べた情勢の転換について重視せず「戦争法制反対」と単純にスローガン化した結果であり、反対と言いながら修正案や対案を提起せず、極めて杜撰な対応に終わった。これに対して維新の党は対案を提示して国会における論争を深める行動を取ったが、最大野党の民主党がこれを軽視したために国会での議論を深めることとならなかった。

民主党は、先に政権党となり、多くの解決すべき課題を担ったが国民のニーズに応えきれず政権を離れた。その後遺症は大きいが、その反省が明確にされず、党内議論も整理されず、相変わらず前世期における野党から一歩も出ていないので、新しい安保情勢とその戦略について、相も変わらぬスローガンを掲げている。

考えてみると、このようなことはいわゆる第一次安保闘争の頃とあまり変わっていないように思える。第一次安保闘争も、内実は安保問題についての議論は野党でも労働組合でもあまり進まず、岸内閣の警職法から続く国会軽視による強引な議会運営に対する国民の民主主義擁護のパワーが爆発したのであったが、今回もやや似通った軌跡をたどりつつあるように見える。もっと新しい安全保障環境についての深い読みが必要とされる。その意味で民主党は当時の社会党に似通っているが、当時の社会党と比べても民主党のパワーは低い。

このように見てくると、現在の政治をめぐって指摘すれば、このような重要課題への取り組みの杜撰さは国会及び政治家の劣化といわざるを得ないのではないか。
( 会長・板東 慧)


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