本サイトへ戻る
カテゴリー一覧

【2013年2月号】教育危機の露呈としての生徒の自殺が物語るもの ― 近畿の危機的事例

昨年1年間、教育界は一昨年からひきずってきたありうべ からざる2大事件で明け暮れた。1つは大津市における「い じめ」による自殺であり、もう1つは大阪市立桜宮高校のバス ケットボール部監督による体罰を原因とする自殺である。もと よりわれわれ関西に住むものにとってはあまりにも近隣での 想像を絶する出来ごとなので、印象深い事件という側面は あったかもしれないが、近隣かどうかにかかわらず、近年稀に みるショッキングな事件として注目される。

それは、大津の事件にしてみれば明らかに周辺の生徒が 気づいていて話題にも上がり、犠牲者からの危機を訴えるア ラームが発せられているにも関わらず、教師がほとんど無関 心で、自殺者がでた後にも教育長や当該校長は「自殺の原 因がいじめにあったかどうか」と公然と疑問視してきた。世論 によるこれら関係者への批判が高まるにつれて、当局側は 渋々「いじめが原因であったかも知れない」というような態度 に変わっていった。全く教育者としての感性に欠けていると いわざるを得ない。およそこれだけ本人が追い詰められてい ることに周辺が気づかないことも不思議であり、当該校の教 師や行政関係者は見て見ぬふりしていたといわざるを得な い。人間とはそんなに無関心を装っておれるものなのか。驚 くばかりである。

大阪市立桜宮高校の場合は、永年暴力教師をバスケット 部の監督において、一旦その暴力行動が生徒の告発で明 らかにされたが、学校側は市教委に「体罰はなかった」と報 告していた。体罰はある程度容認されているとかいないとか の議論がこの周辺にはあるようだが、理由もなく、このバスケッ トボール部では一度に30〜40発殴られるのが普通だったと いう。そのやり取りはほとんど脅迫であり、当該校長も周りの 教師も見て見ぬふりをしてきたし、その監督の永年の実績に 周りの教師も口が出せなかったと弁解しているようだ。これ は部活動の指導や監督の行動というよりは、学校内に暴力 団を飼っていたのと同じであり、体罰等とは無関係な病的 暴力にさらされていたというべきであり、それをコントロールで きない学校をどう見るのかである。

もともと体罰は禁止というのが学校の常識であり、スポーツ の技術や能力が暴力と脅迫によって向上するという考えが 間違っているのだ。しかし、これは、わが国学校スポーツに流 れる体質の一環であり、学校間競争等、文科省そのものの 指導理念から問わねばならぬし、それは教育改革の本質で あり、わが国学校教育の危機の深刻さを物語る。にも拘わら ず、大阪市教委は当面正常化するまでこれらの部活動を禁 止し、廃部も考えるという。「部活動が悪いのでなくて、その 指導者が悪い」のだ。まさしく大阪市教委は本末転倒の渦 中にある。 (伴)


地球儀 の他の最新記事