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6.【スペイン】2010年秋 スペイン24時間ゼネストとその周辺

菊池 光造(京都大学名誉教授 / 社団法人国際経済労働研究所 所長)

1.2010年9月29日
2010年9月29日午後、筆者はスペイン・バルセロ ナに着いたばかりで、地下鉄ディアゴナール駅にほ ど近い広場にいた。大きな爆発音に驚き、ワンブ ロック離れたガルシア大通りに出ると、そこは延々と 続くデモの人波で埋まっていた。爆発音は爆竹の 音であり、見事に統制のとれた太鼓軍団、シュプレ ヒコールと歌、時にフラメンコまで登場し、大量のビ ラやパンフレットが乱舞していた。 この日2本しか運転されていない特急列車に乗 るために朝早くマドリッドのアトーチャ駅に向かった 時には、サイレンを鳴らしてパトカーが走り回り、鉄道 (レンフェ)の駅周辺には警官を満載した機動隊の 車両が待機していた。5時間後バルセロナ・サンツ 駅に着いた時には、地下鉄、バス、すべてがストップ しており、タクシーも動いていなかった。 まさにこの日は、スペインにとって8年ぶりのゼネス ト決行の日であり、翌日主催者発表によれば、スペ イン全労働者の7割がゼネストに加わり、首都マドリッ ドで50万人、バルセロナで40万人の労働者が街頭 デモに参加したのである。

この日政府とスペイン2大労働組合との合意に よって交通機関について最小限の保安運転が確 保された(筆者もその恩恵にあずかった)とはいえ、 全国で空港の機能停止、高速鉄道80%運休、中 距離列車全面運休、バス、地下鉄、公務員さらに は、自動車産業、鉄鋼産業の労働者たちも全面ス トに入ったのであった。マドリッド、バルセロナでは、 警官隊との衝突でけが人も出たのである。

20110506_roudougenba6_Sp.JPG Photo:CCOO-Plastal


2.緊縮政策への国際抗議行動

このスペイン8年ぶりといわれるゼネラルストライキ と大規模な街頭行動には、重なり合う二つの原因 があった。争点の一つはサパテロ政権が進める緊 縮財政・経済政策とそれへの抗議行動という側面 である。

これは実はスペインだけのことではなく、EU諸国 が共通に直面していた問題である。2008年のリー マンショックの影響は、EUに広がって、アメリカ以上 の打撃を与えていた。ヨーロッパ諸国は軒並み金 融危機と景気の大幅な後退を経験し、これに対す る緊急経済政策は巨額の財政支出、膨大な財政 赤字となって跳ね返っていた。

これに対してEU本部は、EU加盟諸国に各国 での緊縮財政政策・巨額財政赤字削減を強く 迫っていた。緊縮政策、公共支出の大幅な削減は 各国で公務員賃金の引き下げとなって現れ、ただ でさえ民間産業・企業の倒産や停滞で雇用が減 少しているところへ追い打ちをかける形で、雇用の 縮小、失業の増大をもたらすものであった。この点、 失業率がEU内最高の20%にまで達したスペインで は、事態はとりわけ深刻であったのだ。

こうした状況の下で、ヨーロッパ各国の労働組合 は「金融危機・経済破綻は労働者の責任ではな い」として、緊縮経済政策の撤回、雇用創出と賃 下げ阻止を訴えたのであり、欧州労働組合総連合 (ETUC)は2010年9月29日を「緊縮経済政策に 反対する国際行動デー」として、EU加盟諸国での 共通の抗議行動の日とした。したがって9月29日に は、EU諸国で同時的に大デモンストレーションが展 開されたのであり、EU本部のあるベルギー・ブリュッ セルでは、参加各国から派遣された労働組合代表 を含めて十万人規模のデモがEU本部を取り巻い たのであった。こうした中でのスペインの9月29日 だったのである。

3.労働法改定への反攻
もう一つの争点は労働市場構造改革・労働法 改定問題である。従来スペインでも正規雇用とは 「期間の定めなき雇用契約」によるものであり、安 定雇用を意味していた。解雇・失業に対する規制 も厳しく、解雇金45日分は、労働者にとってヨーロッ パの中でも恵まれた水準だった。1984年まではス ペインでも非正規雇用は非常に少なかったが、不 況の中で「失業よりは有期雇用でも雇用を」とした ゴンザレス社会労働党政権のもとで非正規雇用 拡大への道が開かれ、使用者団体も「雇用の柔 軟化」を主張し始めた。当時は有期雇用には解雇 賠償金がなかったことも使用者の有期雇用拡大 への誘因になった。その後、労働サイドの交渉圧力 によって、解雇金の引き上げ、一時的なものでない 職務での就労は正規雇用に転換する義務などが 法令に盛り込まれたが、変動するスペイン経済の 調節弁として有期・非正規労働が拡大してきたの である。こうして、すでにEU主要国の中でもっとも 非正規雇用が多く労働力の約30%を占めている のだが、労働市場のさらなる柔軟化なくしてはスペ インの経済競争力が見込めないとして、「社会対 話」(Social Dialog)として知られる政労使3者協 議が2年越しで続けられてきた。しかし協議は整わ ず、ついに合意不成立のままサバテロ政府は労働 法改定案を閣議決定、6月22日に再審議の条件 付きで下院を通過させ、暫定施行ののち9月9日に 最終的に労働法改定が決着したのである。その内 容を見ておけば、  

1)労働時間の柔軟化として、労働時間短縮= 操業短縮制度の導入。理由が正当と認められた 時は10 ~ 70%までの操業短縮と、その間の賃金 の失業手当制度による補填。

2)経済的理由による解雇制度に関する基準の 緩和。従来「過去6ヶ月間の企業利益のマイナス」 が目安とされていたが、これを「現在の状況」でよ いとするもの。

3)欠勤を理由とする解雇正当化基準の緩和。 欠勤率2.5%を超える企業について、連続2カ月間 に20%以上の時間欠勤した者、また12カ月のうち4 カ月について25%以上欠勤した者は解雇正当。 

4)解雇金として33日分の基礎賃金とする適用 労働者の範囲拡大。従来正規雇用の解雇金は 45日分が基準であったが、特例として若年層(29 歳以下)、中高年(45歳以上)、女性、障害者、30 ~ 44歳の長期失業者(1年以上)、不安定雇用 従事者、これらの労働者を新たに正規雇用にする 雇用契約を結んだ企業には、契約期間内の解雇 があっても解雇金を33%に減額するとされていた。 この解雇金減額措置の対象を拡大し、3カ月以上 の失業者、常用労働に就いていた31歳~ 44歳の 失業者、過去2年間パートタイム就労していた者にま で拡大したのである(岡部史信「スペインの労働法 と最近の労働事情」『世界の労働』2011年2月)。 

こうした労働法改定に対しては、UGT、CCOO の2大労組をはじめとして、すべての労働組合が 「30年にわたって確立してきた労働権を後退させるもの」「より安価に、よりスピーディーに解雇を認め るものだ」として反発を強め、ゼネストを構えて法改 定の議会承認を阻止する道を選んだのであった。 以上みてきたように、EU諸国に共通する経済 停滞と失業増大のもとでの「緊縮財政政策」への 反抗、これと絡み合うスペイン独自の労働法改定 阻止という課題、これら両者の合するところに9月 29日の行動が設定されたのであり、ほかのEU諸 国では街頭デモによる抗議行動であったものが、スペインでは労働者の権利擁護という課題が重なっ て、ゼネストになだれ込むことになったのである。

4.スペイン労働組合運動の系譜
スペインの主要な労働組合全国組織は、「スペイ ン労働者委員会総連盟(CCOO)」120万人、「ス ペイン労働総同盟(UGT)」88万人、「バスク連帯 労働組合(ELA)」11万5000人、「スペイン労働者組合連合(USO)」11万人、となっている(2010 年6月現在)。CCOOは、フランコ独裁政権と戦い、 労働権を要求するために、スペイン共産党やローマ ンカソリック労働者のグループなどが合流する形で 1960年代に創立され、やがて一体性を確立して 1970年代以降最大の全国組織となった。CCOO は、今に至るまで共産党系の色彩が強い。

UGTの歴史は古く、創立は1888年にさかのぼ る。創立期の指導者パブロ・ポッセはマルクス主義者であったが、組合組織としては非政治的な姿勢 を取った。1920年以降「UGTメンバー=スペイン社 会労働党員」という関係が定着、1930年ごろには最高100万人を超えた。現在スペイン第2位の全国組織である。

ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニによるファシ ズム・全体主義の台頭するヨーロッパの中で、スペインでは労働者のみならず小市民や知識人なども 含めた「人民戦線」が1936年総選挙で勝利し、 ヨーロッパにおける自由・民主の希望の星となるが、 フランコ将軍指揮による軍部の反乱によって流血 の「スペイン市民戦争」が勃発した。1939年、人民 戦線軍の敗北によってフランコ軍事独裁政権が成 立、ヒトラーやムッソリーニとは一線を画していたた め、第2次大戦後もフランコ独裁政権は生き延び て、1975年のフランコの死に至るまで続いた。この 独裁体制下ではすべての労働組合が非合法化され、「垂直型組合」と呼ばれる「個別企業従業員 組織」のみが存在を認められていた。フランコの死 後、カルロス立憲君主制の下でスペインの民主化・ 近代化が急速に進められ、労働組合組織もようや く合法化されるに至ったのである。

5.経済危機の継続とスペイン労使関係
こうした歴史的経緯を背負って、激情型のスペイ ン労働者・労働組合は、極めて強い政治色、イデオロギーや政党とのリンケージを持っており、筆者が 立ち会った2010年9月の大デモンストレーションの中でも、マルクス、レーニン、毛沢東、チェ・ゲバラ、カ ストロからチャベスに至るまで、ありとあらゆる左翼・ 民族主義指導者の写真や似顔絵を入れたパンフ レットやビラが乱舞していたのだ。

こうした労働界のあり方を踏まえて、2004年の総選挙で社会労働党書記長から首相になったサパテロ政権に対しては、UGTとCCOO間の緊張・協調関係をはらみつつも2大労働組合がこれをバックアップして、EUが唱道する「社会対話」によるコーポラティズム的国政運営を行ってきたのであった。 しかし、スペイン経済の危機的状況が続く中で、緊縮政策と労働法改定にまで踏み込まざるを得な かったサパテロ政権と労働組合界との間には決定 的な亀裂が生まれた。ゼネスト後、サパテロ政権の側から、2大労組との関係修復の試みもなされたが不成功に終わり、2011年4月2日、サパテロは2012 年の次期首相選挙に出馬しないと表明せざるを得なくなったのである。

現在進行中の経済危機が回避され、スペイン経済が安定軌道に乗らない限り、スペインの労使関 係は今後も揺れ続けるとみねばならないだろう。

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紙幅の制限もあり、文献資料は略記にとどめる
菊池光造『スペイン労使関係インタヴュー・ノート』2010年10月
ILO東京支局『世界の労働』2011年2月
『Financial Times』各号
労働政策研究・研修機構(URL:www.jil.go.jp)
日本貿易振興機構(URL:www.jetro.go.jp)
Barcelona Reporter(URL:www.barcelonareporter.com)
Social Europe Journal (URL:www.social-europe.eu)

 『Int'lecowk―国際経済労働研究』 2011年5・6月号(通巻1010号)掲載 

 


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