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【第17回】アラブの石油を握るハリバートンの回転ドア人脈

はじめに

2004年5月29日、サウジアラビア東部のアルホバルで、アメリカの大手建設会社、ハリバートンが入居しているビルが爆破された。アルカイダ系イスラ ム武装集団と見られる「アルクッズ(エルサレム)旅団」がインターネットで発表した犯行声明では、ハリバートンが名指しで非難されていた。「ハリバートン の企業グループがイスラム教徒の富を奪っている」というのである(http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/
mideast/sau/news/20040531ddm007030084000c.html)。以後、建設、兵員訓練、兵站、精密機器操作のあらゆ る業務を遂行する米系軍事企業に勤務する民間人の殺害が相次ぎ、親米国サウジアラビアもイラクに匹敵する憎悪が応酬される地獄絵図になってしまった。
米軍による第2次イラク侵攻後、サウジ在留米軍はカタールに移転して、サウジ国内には米軍はほとんど残らなくなった。そこで、イスラム武装勢力は、ジ ハードの標的を米系軍事企業に切り替えたものと思われる。実際、正規の軍事活動と軍事企業による民間業務との区別は、ほとんどつかなくなっている (Gilligan[1998])。
一般に貧しい国は、自国の治安維持を先進国、とくに米国の軍事請負会社に頼る度合いが強い(David[1991], pp. 233-36)。しかし、現地政府は、米軍の圧力を背景に軍事企業と契約する場合が多く、そうした企業は、現地住民の怨嗟を買うことが多い(Stokke[1995], p. 12)。

疑惑に翻弄されるハリバートン

ハリバートンは、米テキサス州の油井掘削会社として1919年に創業し、1962年には建設大手のブラウン&ルートを吸収した。120を超える 国に200社以上の子会社を設置し、世界で10万人以上の従業員を抱えている巨大エネルギー企業である。いずれにせよ、同社は、1991年の米国による第 1次イラク侵攻で、油井消火をペンタゴンから委託されたことを皮切りに中東ビジネスを急速に伸ばした。
ハリバートンは、2002年度の会計年度には、ペンタゴンからの受注額は37位であったのに、2003年には、第2次イラク侵攻後の巨額受注によって、 第7位に急伸した(http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040320 /mng_____tokuho__000.shtml)。同社は、米国よりイラク復興を委託された再大の事業者で、バグダッド中心部のシェラトン・ホテ ルの大部分を借り切り、数百人規模の従業員をイラクに送り込んでいる(『毎日新聞』2004年6月12日夕刊)。
1995年から2000年まで同社CEOを務めたチェイニーが子ブッシュ政権の副大統領であったことと、ハリバートンの一大飛躍が無関係なはずはないとの疑惑が、同社にはつねにつきまとっている。
2004年5月31日付の米誌『タイム』は、ハリバートンがペンタゴンからイラクの石油関連事業の発注を受けたさい、チェイニーが関与していたことを示 す電子メールを入手した、との記事を掲載した。この電子メールは、2003年3月5日の日付で発信されたもので、数十億ドルの石油関連事業のことが記され ていた。発信者は陸軍工兵隊当局者であったが、その氏名は不明である。
これによると、ウォルフォウィッツ国防副長官が、国防総省政策担当補佐官のダグラス・ファイスに対して、契約内容を翌日にホワイトハウスに報告すること を条件として、「石油関連事業を履行する権限」を与えた。ファイスは、契約内容を、「副大統領事務所と調整済みであるので、何の問題も起きないはずだと 語っている」とメールでは記されていた。そして、その3日後に、ハリバートンは、陸軍工兵隊からその事業の発注を受けたのである。副大統領事務所も、ペン タゴンもそうした事実があったことを強く否定するコメントを発表した。
こうした中で、SECによってナイジェリア疑惑が蒸し返された。2004年6月11日、ハリバートンの子会社であるTSKJが、ナイジェリアで受注した 液化天然ガス事業に関して、SECの調査を受けたのである。これは、本社をポルトガルに置く同社が、外国での汚職防止を定めた連邦法に抵触したとの疑惑か ら開始された調査であった(http://www.asahi.com/business/update/0612/006.html)。
この汚職行為とは、ナイジェリアにおける天然ガス開発事業の税務での優遇を狙った多額の贈収賄のことである。すでにフランス司法当局も、90年代の贈収 賄行為について、国際法に照らし、当時ハリバートンのCEOであったチェイニーの告発を用意しているという(http://www.tokyo- np.co.jp/00/tokuho/20040320/mng_____tokuho__000.shtml)。

ブッシュ・ファミリー

この贈収賄事件の弁護を、ハリバートンは、ベーカー・ボッツ法律事務所に依頼した。この事務所は、ジェームズ・ベーカーが経営している。ベーカーは、ブッ シュ・ファミリーの一員であるが、9・11テロのとき、ビン・ラディンの一族とリッツ・カールトン・ホテルで時を過ごしていた。またベーカー・ボッツ事務 所は、9・11テロの遺族からビン・ラディン一族に対して起こされた1兆ドルもの訴訟攻撃から、一族を防衛したことでも有名である (http://www.hereinreality.com/baker.html)。さらにベーカーは、2003年12月に合意された対イラク債権放 棄案の立役者でもあった(http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/3294979.stm)。
同事務所でハリバートンの弁護を担当するのは、ベーカーのパートナーのジェームズ・ドティである。ドティもまた、ベーカー同様、ブッシュ・ファミリーの 一員である。彼は父ブッシュ政権下でSECの総顧問に任命され、子ブッシュのインサイダー取引疑惑を解決した人物でもある。
この疑惑は、子ブッシュがテキサス・レンジャーズを買収する際に、ユナイテッド・バンクから50万ドルの融資を受け、その返済にハーケン・エナジー株の 売却益を当てたが、この売却時期が米の第1次イラク侵攻直前であったことから、1990年に、インサイダー取引ではないかとされたものである。SECが調 査に入ったが、1993年に調査は打ち切られた。その背後に、SEC総顧問であったドティの活躍があったことは容易に想像される。しかも、当時のSEC委 員長のリチャード・ブリーデンも、父ブッシュによってSEC委員長に抜擢された人である (http://www.derivativesstrategy.com/magazine/archive/1995-1996/0396qa.asp)。
ここには、ブッシュ-チェイニー-ベーカー-ハリバートンにつながるアバーブ・ザ・ライン(above the line)の強固な米国の人脈の存在が如実に示されている(http://www.democracynow.org/article.pl?sid=04/02/17/1531257)。
チェイニーは、1968年、ワシントンで、ウィスコンシン州選出の若い共和党議員、ウィリアム・スタイガーの事務所で働き、続いて機会均等局の局長、ド ナルド・ラムスフェルドの下で働いた。1970年、ラムスフェルドがリチャード・ニクソン大統領によって大統領顧問に選ばれると、チェイニーはその副顧問 となった。1974年8月、ジェラルド・フォードが大統領に就任し、ラムスフェルドを大統領首席補佐官に指名した。ラムスフェルドは直ちにチェイニーを副 補佐官として採用した。そして1974年11月にラムスフェルドがホワイトハウスを去ると、チェイニーは大統領首席補佐官に昇進した。34歳、史上最年少 の大統領首席補佐官であった。
1977年、チェイニーは、故郷ワイオミング州に戻り、翌1978年には、人口の少ない同州のただ1人の連邦下院議員に選出された。その後も再選を重 ね、2年任期の下院議員を5期務めた。1989年、チェイニーは、当時のジョージ・ブッシュ大統領(現大統領の父親)によって国防長官に指名された。彼 は、1993年1月まで国防長官を務め、在任中には、パナマにおける「大義作戦」、そして第1次イラク侵攻における「砂漠の嵐作戦」という、2つの軍事作 戦の指揮を執った。この湾岸戦争で発揮した指導力を称えられ、チェイニーは1991年7月、民間人に与えられる最高の栄誉である大統領自由勲章を、父ブッ シュから授与された。そしてこのチェイニー国防長官の下で統合参謀本部議長を務めたのが、コリン・パウエル大将であった。国防長官時代、チェイニーは、軍 事の民間委託計画をハリバートンに作成させ、父ブッシュがクリントンに敗れると、1995年にはハリバートンの取締役会長兼最高経営責任者に就任した。
なお、チェイニーは1964年に、中学校時代からの恋人であるリン・アン・ビンセントと結婚した。リン・チェイニーは、1986年から1993年まで全 米人文科学基金の会長、AEIの教育・文化担当上級研究員を歴任した(http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j074.html)。そして、今回、サウジで社員が誘拐されたローッキード・マーチンの重役も経験している。

引用文献

David, Stephen R.[1991],"Explaining Third World Alignment," World Politics, Vol.
  43, No. 2.
Gilligan, Andrew[1998],"Inside Lt. Col. Spicer's New Model Army," Sunday
  Telegraph, November 22, 1998.
Stokke, Olav[1995],"Aid and Political Conditionality: Core Issues and the State
  of the Art," in Stokke ed., Aid and Political Conditionality, Frank Cass.


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