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【第5回】政治権力を握った巨大メディア

はじめに

これまで、「巨大メディアは政治権力に匹敵する裏の権力である」と、つとに語られてきた。ところが、規制緩和の国際的な進行とともに、メディアが裏の権 力ではなく、堂々と表の政治権力を手中にするようになった。イタリアはその典型である。2001年夏、イタリアで最高・世界でも第14位の資産家であるメ ディアのボス、シルヴォオ・ベルルスコーニが首相として再選された。しかも、閣僚総数26名のうち12名が企業経営者であり、これまでの国政のイメージを 一変させたのである(ピエール・ミュソ【PierreMusso、レンヌ第2大学情報科学教授】「ベルルスコーニを生んだイタリア資本主義の再 編」、(http://www.netlaputa.ne.jp/~kagumi/articles02-0204.html)

新しい企業家群

彼らは経営者といっても、2000年までのイタリアに君臨してきたメガバンクと巨大製造業との融合体といった旧タイプの財閥ではなく、ニュー・エコノ ミーの一翼を担うニューメディアといった新興財閥と、それに連なる中小企業出身者である。これが従来の保守政治体制と決定的に違う点である。
2000年6月、旧財閥のドンであったエンリコ・クッチャの死亡によって、財界の新勢力が旧勢力を圧倒することになった。クッチャというのは、イタリア 商業銀行、クレディト・イタリアーノ、ローマ銀行の3大銀行の共同出資によって設立された産業金融の中心的な中期信用機関、メディオバンカの総裁を長く続 けた人である(http://plaza9.mbn.or.jp/~yasodasoken/link41.html)。彼は、1960年代のジョヴァン ニ・アニェリ(フィアット創設者)、1970年代のカルロ・デ・ベネディッテ(フィアット指導者)とともに、1980年代の実業界を統括し、イタリア的混 合経済体制(ecnomia mista)を主導した人物であった。
この2000年6月には、イタリア混合経済体制の象徴であったIRI(産業復興会社)が解散した。IRIは政府持ち株会社であったが、世界的な民営化の 動きのなかで、財政赤字解消を意図して株式が放出されたのである。このときから、イタリアもまた、米国と同様の株式資本主義に転換した。この機運を決定的 なものとしたのが、積極果敢な企業吸収・売却によって株億万長者となっていたジルベルト・ベネトンと、ベルルスコーニだったのである。
イタリアでは、ファシズム(コーポラティズム)下の1933年に、IRI(イタリア産業復興公社)が創設され、これは工業部門の40%、金融部門のすべ てを支配した。IRIは戦後も存続し、ENEL(イタリア電力公社)、ENI(イタリア炭化水素公社)とともに、1980年代でも国家がイタリア産業の 50%を支配していた。
ところが1990年代に入って、世界的な民営化の流れの中で、政府は保有していたIRI株の半分を放出することになった。こうして1992年から 2000年にかけて、ミラノ証券取引所は大活況を呈し、株価は5倍につり上がった。これが、株操作を巧みに行う新しいタイプの企業家群を登場させる背景と なった。ベルルスコーニとベネトンはその象徴である。彼らのような新タイプの企業家たちは、生産量を重視したフィアット型(フォード型)旧タイプの経営者 と違って、メディアによる大衆操作と株操作を通じた錬金術を基本としている。新タイプの企業家は、小企業から出発し、旺盛なM&Aによって強大な 帝国を築きあげ、ついには国家権力をも手に入れたのである。
ベルルスコーニは、選挙運動では「イタリア経済の夢」の化身として自己を宣伝した。このとき、メディアセットがフル動員させられたことはいうまでもな い。ちなみに、同首相が党首を務めるイタリア第1党のフォルツァ・イタリアとは、「イタリアよ元気を出そう」という意味である。
そもそもイタリアの経済は、「小人(こびと)型資本主義」とアマート元首相が定義づけたとおり、中小企業の多さが特徴であり,OECDもイタリア産業構造の特徴を、中小企業の広範なネットワークの存在に求めている(OECD,Italia,1999―2000, May2000)。実際、現在のイタリア企業400万社のうち、従業員10人以下の小企業が半数を占めており(EU平均は35%)、従業員250人以上の 企業数は全体の20%にすぎない(EU平均は35%)。しかし小企業ではあっても、その内外のネットワークは「小型多国籍企業」の様相を示している(ピ エール・ミュソ前掲論文)。ところが金融面から見る限り、一握りの巨大企業が金融全般を支配している寡占状態が実情なのである。

EUで横行するナショナリズム

ベルルスコー ニ首相は、政治権力を握ってもなお、イタリア国内最大手のTV会社・メディアセットの所有者の座を降りなかった。このメディアセットは2002年12月 24日、スペイン最大の民放TV会社、テレシンコの発行済株式の52%を取得し、傘下に収めたと発表した。それまでに取得していた株式は40%であり、積 み増した12%は、スペインのメディア企業レオから2億7,600万ユーロで買収したものである。これは、スペインで、外資によるメディア株の過半数以上 の保有を禁じる法律を制定する動きが出てきたことに対して、先手を打つかたちで対応したものである。
また同首相は既に、フランスの地方TVに資本参加しており、さらにドイツ市場への本格的参画をも予定している。大国の首相が、自分の所有する会社を内外 に拡大させるという「政経混同」を、敢えて行っているのである(日本経済新聞2002年12月25日)。これは、混合経済体制という国家主導経済を民営 化・市場化するはずが、実際には民主化に逆行する倫理なき資本主義へ本格的に突入したことを意味するが、最近のEUが欧州市民の結束という建前に反して、 露骨なナショナリズムの衝突を再び繰り返すようになったことの象徴でもある。
たとえば1999年、すでに民営化されていたテレコム・イタリアを、ドイツ・テレコムが買収しようとした。これに対してイタリア・オリベッティ社の当時 の会長、ロベルト・コラニンノは、中道左派政権のダレーマ首相とメディオバンカの支援のもとで、テレコム・イタリアにTOB(株式公開買付)をしかけ、テ レコム・イタリアが外資の手に落ちることを阻止した。
また2001年夏には、スペインの電話会社テレフォニカと99年に破れたドイツ・テレコム連合が、ふたたびテレコム・イタリアを買収しようとした。これ に対してベルルスコーニ政権は、盟友のピレッツリ会長マルコ・トロンケッティ・プローヴェラと、ベネトン一族の持株会社エディツィオーネに、オリベッティ 本体、テレコム・イタリアおよびその関連会社を傘下に収めさせた。
さらに2002年末には、ベルルスコーニが支配するメディアセットが、スペイン最大のTV会社テレシンコを買収したが、ここには前年のスペイン・テレフォニカによるテレコム・イタリア買収劇への報復的な意図が、露骨に見られる。

メディアを駆使する権力

メディアが権力によって重宝されている実態を描いた、高木徹『ドキュメント戦争広告代理店』(講談社、2002年)が評判となっている。これは、メディア がグローバル化の進展にいかに貢献し、また権力がいかにそれを利用するかを、ボスニア紛争を例にして描いたものである。
ベンジャミン・バーバーも、『ジハード対マックワールド』(三田出版会、1997年)で、欧米の巨大メディアがおよぼす地域への破壊的な影響を叙述して いた。1991年の時点で、日本を含む22か国の興業成績トップテン映画(合計220本)のうち、各国の国産映画はわずか29本(13.2%)にすぎず、 残りのほとんどがハリウッド映画であった。日本はもっとも国産映画比率の高い国であったが(60%)、それでも上位4つはハリウッド映画であった(『ジ ハード対マックワールド』141、442―445ページ)。
つねに物議をかもす「ジェームズボンド」シリーズに端的に見られるように、メディアは世界の大衆の洗脳を可能にする。ベルルスコーニ政権はその典型であ る。またメディアセットが、2002年春に経営破綻し、同年年末にドイツの大出版社に買収されることになったドイツのキルヒメディアを買収すべく名乗りを 挙げていたのも、全欧のメディアを支配下に置こうとするベルルスコーニの政経混合路線の現れなのである。
2002年3月23日、イタリアでは200万人を超える人々が参加して、反ベルルスコーニの大デモが行われた。多数のメディア関係者がこれに参加した。ITバブル、メディア錬金術への反対であった。


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