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【2010年2月号】ゴールデントライアングルのその後―メコン開発の一側面

昨年12 月、30年ぶりにタイ北部を訪れた。バンコクなど南部はよく訪れているが、ひさしぶりである。その中心都市チェンマイは、13世紀頃成立し19世紀後半ま で北部を支配したランナー王朝の首都で、バンコクに次ぐ第2の都市である。いわばわが国の京都のような地位にあり、寺院や遺跡が多い。また、北部の女性は 肌の色が白く、チェンマイ美人といって、ミスタイを年々輩出した地域でもある。30年前には人口10万の静かな都市であったが、現在は人口40万の超高層 ビルを持つ大都市で、シルク・紙業・木工・陶器・宝石・金属などの工芸産地として繁栄しているのに目を見張った。

ここから北へ約300キロ、山岳地帯にチェンラーイがある。ここはチェンマイ以前のランナー王国の首都で、3つの有名な寺院がある。実は、この周辺の山 岳地帯には、様々な少数民族が伝統的なライフスタイルで、農業・家内工業によって生活する秘境が展開している。

この北のメーホーソーン村の郊外にはパドゥン・カレン族の村があり、ここの女性には幼少時代から首に真鍮のコイルを巻く「首長族」や耳たぶに大きなピア スをしたカヨー族、膝に黒い布を巻きつけるカヤー族がいる。「首長族」の村落はなだらかな坂に民芸品の製作や販売をする住居小屋が点在し、そこに一家族ず つ住んで、観光資源として迎えてくれる。現在は「首長」を好まない女性もいるので、行政が助成をして奨励する側面があるという。多くは10代~20代の美 人で子持ちの女性も多い。年輩者はほとんど表に出ていないので明らかに観光用に維持されているとみられる。北端のチェンセーンは、ミャンマーに国境を接 し、対岸にラオスを望むいわゆるゴールデントライアングルの町である。

1949年、中共軍に敗北した国府軍の主力は台湾に渡ったが、雲南やチベット近辺にいた国府軍はこの地にのがれた。そして、アヘンなど麻薬を小規模なが ら栽培していた少数民族地帯に逃れて武装集団として君臨し、世界最大の麻薬地帯を形成した。しかし、1985年頃より国連の決定にもとづいてタイ・ミャン マー・ラオス軍の共同作戦によって掃討され、これら軍人は主にタイ国籍を得て民間人となった。少数民族には、政府が高原植物の種子・苗を与えてその作物を 高価で買い上げる、日本の農業指導員が米作指導に入るなどし、麻薬地帯は一掃された。現在は観光地として売り出し中で、タイ側には巨大な金色の仏像群のあ るリゾートになっている。しかし、ミャンマー側とラオス側には中国人経営による巨大なカジノができている。また、少数民族の麻薬生産はなくなったはずでは あるが、米作に対して麻薬製造の利益は40倍もあるので、こっそり作るものは絶えないという。今回の旅の基本目的はそのあたりの実情視察が本音であった が、メコン開発の一側面をかいま見た感があった。(伴)


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