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【2008年7月号】官僚依存克服できない自民と審議拒否に走る民主―喪失する国会機能―

会期末を控えて空転する国会、まことに頼りにならずに無様をさらけだしている。一般論としては喧嘩両成敗としか言いようがないが、それで済まされるものではない。国会議員諸公の幼稚さに情けなくなるか、馬鹿らしくなるか、である。

捻じれ国会などといって、とてつもない事態になったようなことを言うが、わが国の憲法そのものが予定していた事態であって、世界にいくつも前例がある。 むしろ、事態を冷静に受け止めて、賢明に問題を解決していく手法を発見していくのが政治家の使命である。それなのに、鬼の首でも取ったかのような態度で、 政局を混迷に導いていく政治家は少なくとも今日無用の長物である。財政困難な折から、医療費の国民負担が嵩むのなら、先ず国会議員を半減するとか、国会で の無駄使いを減らす努力をすべきであろう。もとより官僚の天下りや無駄使い問題などをいち早く解決すべきであり、埋蔵金問題も明るみに出ているので、この 解決が先行すべきだが、それを政治家が解決できないから問題が進まない。自分たちが決意さえすればできる国会議員定数の削減や国会費用の削減からでも手を つけてもらわなければと、国民サイドが思うのも無理からぬことではなかろうか。

もともとは、政府の無策が年金混乱を招き、その不信さえ解決できないまま、今回の新たな医療保険制度を導入したことに原因がある。しかも、福田内閣の基 本政策が明示されず、トップが傍観者的にさえみられる。医療保険については、すでに国会で決定済とはいえ、具体化の過程について何ら説明がなく、突如とし てまさしく官僚の作文のような具体策がでた。75歳―後期高齢者という概念設定も、世代分担の政策理念も全く官僚による国民を見下した机上の作為である。 世代分担という発想も、いずれ若者も高齢者になる世代連続の現実からいえば意味のない政策理念で、国民皆保険―共同分担理念からすればあえて持ち出す必要 はなく、75歳区分に意味はない。65歳区分でも80歳区分でも成り立つ話である。このような政策はもともと国民の生活感覚からほど遠く、官僚の机上のた わごとなのである。政府は、自らのいたらなさをわびてこの案を廃案として再提案を約束した方がよい。

しかし、これは野党が正しいことを意味しない.まず野党は明確な対案を示して原案の廃案を決めていないし、政策の統一性も明確でない。これは政党として の機能の喪失である。しかも、首相問責決議を出すためにわざわざ廃案を決議したとみてよい。その問責決議も意味のあるものではなく、結局国会審議拒否のた めの道具に過ぎない。そのために重要な法案が棚ざらしで今国会は終わる。民主の小沢党首は直ちに選挙遊説に飛び出した。「国会解散」を叫ぶのはよいが、解 散にも追い込んでいないのに、国会審議放棄で選挙遊説を優先するとはまともといえるか。しかも民主内部は不満だらけなのに「問責決議」は党首一任にしてき た。この責任も問われる。(伴)


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