本サイトへ戻る
カテゴリー一覧

【2007年11/12月号】「小沢の変」とは何だったのか、その後遺症

「小沢の変」が尾を引いている。これは相当長期に尾を引くことだろう。何故なら、ここにわが国政治危機が一挙に露呈しそうだからである。そこで、重要点を指摘しておこう。

筆者は、参院選後の民主党のはしゃぎ振りが気になり、従来の例から、このような場合、必ず小沢の、「壊し屋」というか、それまでと異なる行動に出る可能 性の危惧を抱いていたが、まさにそれが的中した。しかし、どう見ても民主党は「地固まる」に至っていない。

もともと2大政党制とは、競争しつつ補完することによって、少数分立よりは合理的で効率的な政治運営が可能なことに意味がある。自民党長期政権は、官僚 依存で停滞してきたが、バブル崩壊の危機の中で、小泉政権というラディカル改革のイニシアが国民を熱狂させ、自民党のリバイバルが始まった。ところが、民 主党はこの改革に一貫してケチをつけた。それは、小泉が旧福田派であるのに対して、民主党が体質的に旧田中派と社会党のDNAを受け継ぐからで、角福戦争 の再来の雰囲気になった。小沢の行動様式にはこれがある。しかし、小沢には湾岸戦争当時自民党幹事長として1兆円に対応する金額を支出させられながら感謝 もされなかったというトラウマがあり、反テロ給油問題にも異論があり、何かイニシアを取りたい意図があり、「大連立」なる構想で福田と会談した結果、小沢 案を福田が飲む可能性が開けて小踊りして民主党に持ち帰ったとみられる。ただ、さすがに小沢は、民主党の実力を甘く見ていないし、国会運営での対立のみで は国民からも批判が強くなることを見抜いて打開策を模索していた。これに対して、単純な民主党役員会は一顧だにせず全員反対となり、小沢生来の誇りを傷つ け、党首辞任に至った。役員会には、いわゆる「大連立」情報も既に耳に入っていた菅・鳩山がいたのに、一般役員と一緒に小沢提案を蹴ってしまった結果、小 沢が切れた。これも少し議論しようということにすれば他の方法もあったろうが、先に見た民主党内の認識の甘さと相互のズレが公然となり、今度は一転して逆 に「遺留」の大合唱となった。これもぶざまという他はない。結果は「小沢の涙」でシャンシャンとなった。しかし、小沢が「大連立」に乗ったことは間違いの ない事実で彼の政治判断は打ち消せない。しかも小沢らしくないぶざまな出戻りも歴史に残る。真意は「小沢シンパを率いての離党」による政界再編にあったよ うだが、冷静にみると従う者が少なくて困難と判断したようである。しかし、これだけの判断のズレと内部の食い違いは民主党にとって今後の勢いを左右する。 もともと「大連立」などというのは言葉のアヤで、その実現性は疑わしい。むしろ、衆・参がいがみ合って国民のための有効な政策調整が困難な状況を克服する ことが課題であり、冷静沈着に駆け引きなしに政治運営を進めるコンセンサスが緊要なのである。また、「ねじれ現象」というが、憲法上当然起こりうる現象で あり、参院否決法案の衆院再採決も憲法上保障されている。これに感情を絡ませることこそ憲法違反である。さらに、党首間の折衝で難局を打開することは政治 として当然のことであり、合意内容は公開すればよい。今回は合意がないのに情報が漏れていることに問題があるというべきだろう。しかも、金丸以来、小沢に 引き継がれてきたといわれる防衛利権が明るみに出つつあるのも、小沢周辺の政治クライシスを匂わせている。(伴)


地球儀 の他の最新記事