本サイトへ戻る
カテゴリー一覧

【2006年1月号】年末のイエメンの旅より06年の世界を占う

2006年が明けたが、今年はどのような年になるのだろうか。第2次大戦後60年の中で、55年に始まる冷戦体制、その崩壊による89年体制の中で、EU やNAFTAに見る国民国家を超えるブロック体制の進展の一方で、国家を否定するテロリズム支配に見る異常な国際関係の生成も見られた。このようなテロリ ズム支配の流れが消滅したわけではないが、アフガンでは多数の女性の投票参加によって新政権の安定が図られ、パレスティナとイスラエルの関係も双方の譲歩 によって新たな和平関係の定着が見られ始め、イラクもまた、民主的な選挙を通じて新政権体制の確立に辿りつき、未だ治安の不安定さは残るとはいえ、スンニ 派の多数が参加したイラク人自身による新政権が成立し、各国駐留部隊も撤収体制に入っている。これらの体制が次第に定着する事が期待されるが、イランの核 保有問題解決やサウディアラビアの民主的選挙による議会制移行等が残された課題となっている。

ところで、昨年末にこれらと関連して動向が注目されるアラビア半島東端のイエメンを訪れた。かつては旧ソ連の影響下で社会主義だった南イエメンと自由主 義北イエメンに分裂していたものの、ソ連崩壊と共に90年に統一され、湾岸戦争ではイラク寄りの態度をとったが、99年には最初の統一選挙によって北側出 身のサレハ大統領が圧勝し、その下で02年には地方選挙も行われ、安定した議会主義体制が発展している。しかし、98年の南部イエメンでの英国人誘拐や 2000年のアデン沖での米国駆逐艦爆破事件などがあり、アルカイーダの暗躍として治安部隊の掃討作戦が行われるなど、不安もある。また、40億バレルの 石油の埋蔵量と天然ガスの輸出計画等があるが、何といっても自力開発に至らず、1人当りGNPも500$でアラブ最貧国である。しかし、サウディアラビア の隣でもある要衝の地で、上記の情勢からして、イエメンは次の中近東の焦点として浮かび上がり、今後の動向が気になる。

首都サナアの米国大使館前の公道の半分にブロックのバリケードが高く積み上げられていた。すでに、CIAのオフィスがあるという。最高級のホテル・シェ ラトンに泊まったが、レストランは中華系で、連日中国大使など高官と本国からのミッションの晩餐会等が開かれているようだった。加えて、筆者達の最後の 夜、ロビーチェアに座るロシアの元首相(かつてはKGBのトップでプーチンの上司サダム・フセインにも強い影響力を持っていた)プリマコフの姿があり、 筆者と目が合ってお互いに会釈し、握手する機会があり、エレベータ・ホールでは、「今日は」と日本語で声をかけられ、挨拶を交わした。6人程度のボディ ガードやスタッフに囲まれており、詳しい会話を交わす機会はなかったが、翌朝、サナアからドーハへのビジネスクラスの機中でもすぐ近くの席で、再び握手し て挨拶する機会があった。かつて、会った印象的記憶によるものであったろうか。新聞によると、彼は、プーチンのアドヴァイザーとして代表を引き連れ、イエ メン政府との間で、投資・貿易協定および自由貿易ゾーンの構築、観光協定等の交渉を行ったようである。イエメン大統領の国連における自由主義確立の演説、 大統領の訪日と国賓としての演説など、一連のニュースと合わせて考える時、中近東・アラビアでの新たな戦略拠点としてイエメンが浮上しつつあると痛感す る。筆者の旅もプリマコフという巨星との偶然の出会いを通じて、世界の新たな動きをひしひしと感じ、今年の新年のメッセージとできることを快く想 う。(伴)


地球儀 の他の最新記事