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【第14回】敵対的TOB(株式公開買付)とESOP

はじめに

「トヨタだっていつ買収されるかわからないといった危機感は絶えず持っていなければならない」とトヨタの奥田碩会長が2000年の『日経ビジネス』に 語ったことがあるが、いよいよ日本への外資による企業買収旋風が本格化しそうである。そのさい、時価会計が企業買収の追い風となっている。
時価会計は、1999年に企業会計審議会が、IAS(国際会計基準)やSFAS(米国会計基準)に基づいて、企業の保有株を時価で評価して会計処理をす るというものであるが、日本的な慣習である持合株式の解消が主たる目標になっているのは明らかである。持合株式は、保有目的区分の中では「その他有価証 券」という項目に含まれる。これを時価と取得原価との差額を会計処理するのであるが、その処理方法としていまのところ企業は、「全部資本直入法」と「部分 資本直入法」の2種類を選択できる。「全部資本直入法」を選択すれば、評価差損が出た場合には、企業の自己資本が小さくなり、債務超過の危険性が高くな る。「部分資本直入法」はあくまで過渡的形態であり、いずれは、「全部資本直入法」に統一されるはずである。現在のような株安下の日本では、時価評価が企 業の株安を生み、それを避けるべく企業側は持合株式の売却に踏み切っているが、そうした持合解消行動がいっそうの株安を作り出すのは明らかである。いずれ にせよ、この方式は2001年4月1日の事業年度から開始された。
株式の相互持合は日米構造障壁協議で米国側がもっとも激しく糾弾していたものである。外部の投資家が日本株を取得するのが難しいといったことが批判の論 拠となっていた。時価会計の導入は、この持合を一挙に解消する効果を持つ。これによって、日本企業の株価は米国に比べてますます割安になるであろうし、敵 対的TOBが今後は本格化するであろうことが予想される。しかもTOBは、流通市場を通してではなく、企業の株主に直接に接触して、その持株を自社株と交 換してくれるように働きかけるので、株式を交換することによって、高い株価を持つ企業は、株価の安い企業をいとも容易に吸収できる。時価会計が日本の株価 を下げ、2004年から認められるようになった国境を越える「クロスオーバー株式交換」によって、米国企業はますます日本企業買収に向かうであろう。しか も、目標の株式数を取得できないときには、いつでも買い取りをキャンセルできるので、TOBを仕掛ける側はまったくといっていいほどリスクを被らないので ある。

ボーダーフォンとマンネスマン

株式交換を手法とする敵対的TOBの怖さは、ドイツの巨大企業、マンネスマン(以下、マ社と略記する)が一瞬にしてボーダーフォン・エアタッチ(以下、 ボ社と略記)に吸収されしまい、100年を超える名門企業が消滅してしまったことに象徴的に表現されている。
ドイツでは、日本よりも敵対的TOBは困難であると思われていた。ドイツの大手銀行が多くの個人株主の議決権を預かっていて、この預かった議決権を株主 総会で行使することができるし、銀行は、所有株式と受託株式の両方の株式を保有して、企業の監査役会へ役員を派遣できる。しかも、ドイツ企業の最高意思決 定機関である監査役会は、従業員代表が役員に名を連ねている。従業員が2万人以上の企業では役員の半数が従業員代表である。実際、2000年まではドイツ を代表する巨大企業が外資に買収されることはなかった。ところが、1999年、英国のボ社がドイツの巨大企業、マ社にTOBを仕掛けて、その通信部門を手 に入れてしまった。
ボ社は、1985年、英国の電機メーカーであるレーカルの一部門として携帯電話サービスに乗り出し、同時期に携帯電話市場に乗り出したBT傘下のセル ネットとの競争に勝ち抜いて英国第1位の地位を築き、1999年に米国3位の携帯電話会社のエアタッチを買収、さらに、同年、米国での事業をベル・アトラ ンティックと統合し、世界最大の携帯電話会社に躍り出た。それと肩を並べる通信巨大企業がマ社であった。
マ社は、買収されるまでは115年もの歴史を持つドイツ鉄鋼業界の老舗であった。1988年、デジタル携帯電話分野で、ドイツテレコムに次ぐ第2携帯電 話事業者としての認可をドイツ政府から得、その後、ドイツテレコムを抜いて瞬く間にドイツ最大の携帯電話会社となった。イタリア第2位のオミテルの最大株 主になったり、英国第3位のオレンジ(以下、オ社と略記)を買収して、売上高の70%を通信事業で稼ぎ出すようになっていた。1999年時点で、マ社の株 式時価総額は、電気通信分野でドイツ第2位の巨大企業になっていた。
自国のオ社が競争相手のマ社に買収されたことに危機感を持ったボ社は、1999年12月23日、敵対的TOBをマ社に仕掛けた。それからわずか43日後の2000年2月4日、敵対的TOBが成功した。
ボ社がマ社に仕掛けた敵対的TOBの経緯を簡単に述べておこう。1999年11月13日、ボ社がマ社に対する敵対的買収案を提示。マ社はただちに拒否。 同時にマ社は株主への対抗的な働きかけを行う。ドイツ政府も介入姿勢を示す。12月23日、ボ社はTOB内容をマ社の株主に提示。12月下旬、マ社は、フ ランス通信大手のビベンディ(以下、ビ社と略記)会長とトップ会談。2000年1月11日、ボ社が、サン・マイクロシステムズ、IBM、ノキアなどと携帯 端末をインターネットに接続する国際規格を構築することで合意したと発表。1月下旬、マ社はAOL欧州と提携交渉。1月28日、マ社はドイツ銀行との間 で、テレコマース・バンク設立構想があると発表。1月30日、ボ社が、ビ社との間で戦略的提携の合意ができたと発表。2月1日、ボ社の株価が史上最高値を 更新。そして、2月4日、マ社の監査役会が合併を承認したのである。
以上の経緯を見るかぎり、両社ともに仲間作りに懸命になっていたが、最終的には、国際的なネットワーク形成の展望を開いたボ社がビ社を自陣に引き入れた ことで勝負があった。ビ社の帰趨が決定的であったことは、マ社が初期にはビ社に依存しようとしていたことを見ても明らかである。ビ社がボ社と提携するや否 や、ボ社の株価が史上最高値をつけたことがそのことを表している。

株式交換の猛威

ここでは、株式交換(ストック・カレンシー)が威力を発揮した。TOBで最大の武器になったのは、ボ社株価の高騰であった。買収側のボ社株価が上昇するこ とをマ社の株主が期待して株式交換に応じれば、TOBは成立する。逆にマ社株価が上昇し、ボ社株価との交換が有利ではないと判断された場合にはTOBは失 敗する。買収案が発表されて以来、両社の株はともに上昇した。両者ともに懸命に株価対策に走ったからである。初めはマ社株が高騰し、ボ社株は下落した。し かし、最終的には暴騰し、マ社株を保有していた株主はボ社株との交換で1535%ものプレミアムを得た。2000年2月4日の最終時点では、ボ社株は 7.00ユーロにまで上昇した。11月時点では4ユーロ台であったので、それはまさに暴騰であった。こうして株式交換により、ボ社はマ社を買収できたので ある。
マ社にとってオ社買収が命取りになった。結果論であるが、オ社の創設者の香港のハチソンワンポア(以下、ハ社と略記)がマ社の大株主になってしまい、こ れがボ社のTOB戦略に乗ったからである。オ社買収前のマ社の株主構成は、ドイツ国内の法人・個人所有が40%であったが、買収後に32%に下がった。残 りの68%の外国人株主のうち、50%が投資ファンドを中心とする英米株主、10%がハ社であった。外国人株主の多くは、ボ社の株主でもあったことから も、オ社買収後の株主構成はマ社にとって、けっして安定株主ではなかった。ハ社は、オレンジを創設した企業である。オ社がマ社に買収されたことによって、 ハ社は、マ社株の10.5%を保有する最大株主となっていた。ハ社のキャニング・フォクは、ハ社の李嘉誠代表の使者として、自らも新会社株5%を取得し て、取締役のポストを確保した。
結局、2000年5月末、名門のマンモス企業マ社はその永い歴史を閉じた。同社は、通信部門以外のかつての本業のすべてが売却され、「ボーダーフォン・ エアタッチ」という企業名に統合されてしまった。つまり、名実ともに消えてしまったのである。売上高で2兆円という新日鐵クラス、従業員総数で11万 6000人という日立と東芝を合わせた規模を持つ巨大企業が瞬時にして消え去った。
ここにESOP(従業員自社株所有制度)の現代的意味が生まれる。ESOPは米国で生まれた。ESOPという名前こそ冠してはいなかったが、米国企業は 1920年代に相次いで従業員に自社株を持たせて、愛社精神の昂揚を期待した。そうした伝統があったからこそ、1974年にESOPの制度がスムーズに誕 生できたのである。日本でも、自社を敵対的TOBから防衛しようとの従業員の意識はこのESOPから生まれるものと思われる(本稿は、北真収、「欧州に見 るクロスボーダー敵対的TOBとリスク・マネジメントへの示唆(上)」、『開発金融研究所報』、第6号、2001年4月;同、「クロスボーダー敵対的 TOBとリスク・マネジメントへの示唆(下)」、『開発金融研究所報』、第7号、2001年7月、に依拠した)。


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