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【2016年3月号】児童・老人虐待風潮の克服徹底を

最近の新聞紙面でも多数例が紹介されているが、児童虐待が盛んなようである。この稿の執筆中にも保育園の女性保育士が児童保育にあたって、揚げ物にわさびを塗って強引に食べさせようとして食べない時はさらに強圧的に食べることを何人にも強要した例が新聞で紹介され、この保育士は逮捕されて、「少し面白がってやっていた」と告白していた。全くふざけた話で、まず一般的に言って不当なことであるが、保育士という職業を自ら侮辱した態度で、このような態度は不適切で、人物としてもこのような職場から排除せざるを得ない。このような態度は誤って犯した罪ではなく、もともとありえない基本的態度なので、反省を求めても是正が可能とは考えられない罪悪と言わざるを得ないし自覚の求めようさえないと言わざるを得ないのである。最近紹介される児童虐待の事例は多くがこの種のもので、従来一般にみられる一時的過ちとか反省可能な条件を超えているものが多い。
       
 他方、老人ホームでの介護士等によるクライアント殺人事件も一人のみが多数の認知症の老人に対する上層階からの突き落とし殺人事件で、これも全く職業人として考えられない不法行為であるが、その理由として本人が述べるところによれば、過重労働による憂さ晴らしの類での行状のようである。もともと介護を職業として教育も受け、その職を選んだ者としては想像困難なわがまま行為であり、しかも人命を奪うほどのストレスなどあるのかどうか疑わしいものである。
       
 世間はこのような問題の理由に、人員不足や過重労働の負担によるストレスを挙げたり、子どものしつけはある程度厳しい方がよいとして、自らの受けたしつけなどと比較する者がいるが、これは全く不適当な比較であって、事の本質をわきまえていない。仕事場にゆとりができ、ストレスが解消されることと、この種の非人道的行為がなくなることとは全く種類の異なるものであり、要は「人間性」「職業意識・モラル」にかかわる問題であり、その有無が適正かどうかの判断基準にかかわる問題であり、その欠落は「わがまま」そのもので、同情の余地はないと思われる。
       
 さまざまな悪条件の改善は重要であるが、人類の抹殺に繋がるような人間的不当行為を単なる過誤として見過ごすことは「人間破壊」につながることを座視すべきではないし、そのような行為を「遊び半分」「わがまま」として見過ごすわけにはいかない。
       
 お互いが厳しく対処すべきであろう。
(会長・板東 慧)


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