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【2008年10月号】政治を担う「人間の決戦」の時代―賑やかな自民党・選挙なき民主党の行方は―

やる気のない「ダメ福田」と先月この欄で指摘したが、全く予想通り、福田首相が辞意を表明した。安倍・福田と続き、政権を自滅的に放り出したのは宰相の 世継ぎたちある。安倍も代理を立てて入院して再起するという選択肢があったはず。福田の場合は、辞めるに際し「私は自分を知っている」というのなら、もと もと総理など引き受けるべきでなかった。当然宰相に擬せられるものと思い込んで、ヒトに倍する苦労の経験もない後継ぎやイージーに議員に上ってくる2世議 員を警戒すべき実績ができつつある。あえてそのような差別はしたくないが、余りに実績で示されると厭気がさす。そういえば、麻生にも小沢・鳩山にも通ずる 可能性がある。

福田の辞め方が、自民党総裁選という格好の民主党への対抗チャンスをつくったと、かりに福田が思っているとすればどうしようもないし、これを自民党のリーダーたちがラッキーと受け止めているとすれば、これまたなんと情けない。

しかし、危機感を持つニューリーダーを含めて自民党の総裁選が賑やかになったことは結構な話で、たんなる政策のショーウィンドーとしての論争に終わるこ となく、国家のグランドデザイン・政治体質の変革・宰相の覚悟など、通常の論争でない踏みこんだ究極の論争を、人間を賭けてやってほしい。

候補が少なければ「ショボイ」といい、多いとお祭り騒ぎというような評論家に惑わされることなく、熱意を語るべきである。若い人を含めて多数出ること は、危機がそれだけ深いからで、それも認識できなくて、「宰相の地位が低くなった」などと嘆いている評論家がいるが、『ジャーナリズム崩壊』(上杉隆、幻 冬舎)という本が大いに売れていることを知らないのでないか。選挙民含めて宰相の地位を低めるような政治文化を形成してきたこの国にこそ思いを致すべきで あろう。

ところで、小沢民主党は、党首選挙に対立候補さえ立てられなくて、焦燥感に駆られているようだ。もともと対立候補が立つ条件にあったのに、人事でリベン ジされるとか干されるとかで、出なくなったようだ。小沢周辺が脅かしにまわったともいわれる。小沢周辺とは鳩・菅と旧自由党・旧社会党・旧民社党の小沢チ ルドレンのようで、いわば旧経世会・社会・民社という55年体制の復活のようである。これも問題であるが、それぞれ奥ゆかしい慎みから立候補をあきらめた かのような松下政経塾出身者や若いリーダーたちはどうしたのか。このままでは民主党に「民主はない」ことになるのを恐れる。

いわずもがな、世界が「特殊な国」の民主主義を注目している。ポテンシャルはあるのに「しがらみの泥沼」からの脱出にあえぐ日本。どのように危機からの脱出の曙光を見出すか。峠にさしかかっているのである。(伴)


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