本サイトへ戻る
カテゴリー一覧

【第4回】米国の対中人脈形成努力――清華大学を例として

はじめに

米国の果敢な外交姿勢とその高い成功率の背景には、米国のあらゆる分野の指導層による内外の組織的・継続的な人脈作りがある。そうした営為の主要な担い 手が、米国の有力シンクタンク群である。日本が米国から学ばねばならないもっとも重要なものが、このシンクタンクである。
こうした認識の下に、当研究所でも内外のシンクタンクの研究を行いたく、その手始めに「国際経済ウォッチング」で、お手本にしたい米国のシンクタンクを 紹介した。それがこの連載の第1回と第3回の拙稿であった。そしてこの連載は、当研究所のホームページhttp://www.iewri.or.jpでも 公開してきた。
しかし、事実経過を述べるにあたって、大きく依拠した資料の出典を明示しなかったという重大な過失を犯したことに気づき、第1回と第3回の拙稿について は、ホームページから削除させていただいた。なお依拠した資料とは、『フォーリン・アフェアーズ』誌編集長を197284年に務めたウィリアム・バン ディの「もう1つの20世紀史」という論文である(http://www.foreignaffairsj.co.jp/bundy.html)。読者を はじめ、多くの関係者にご迷惑をお掛けしたことをお詫びする。今後も、世界のシンクタンクの研究を継続したい。今回は、米国の対中人脈に焦点をあてたい。

中国共産党政治局常務委員

2002年11月15日、中国共産党は新指導部を発表した。最高執行部の政治局9人のうち、総書記の胡錦濤をは じめ、呉邦国、黄菊、呉官正の4人が清華大学出身者で、北京大学出身者はゼロである。しかも残りの5人のいずれもが、理工系出身者である。清華大学も理工 系大学であることから、中国共産党は指導者のほぼ全員が理工系という特異なエリート集団を指導部にもつことになった。また、4人もが清華大学出身者である ということは、清華大学が中国のエリート養成大学ということだけではなく、米国人脈が中国共産党内で確立されたことを示している。なぜなら、清華大卒は 即、米国人脈につながると見なしてもよいからである。5年前の第15回中国共産党全国大会時から米国留学組が政治局の多数を占めるようになっていたが、今 回の第16回大会で米国派が確実に権力を握ったことになる。言うまでもなく、院政を敷くであろう江沢民・中央軍事委員会主席も清華大卒である。
清華大学は、米中関係の歩みを示す最も象徴的な原点に位置する。米国は辛丑条約による義和団賠償金を中国に返還し、この返還金で清華学堂が設立された。 清華大学の前身である。ラストエンペラー最後の年の宣統3年、辛亥革命が武漢で噴きあげる1911年のことであった。
設立当初から清華は米国留学への予備学校とされ、卒業生は米国で大学3年級に編入され、その後大学院に進んで、学位を取得して帰国するコースが用意され た。米国から賠償金の返還が継続するために、大学財政は政局不安とは無縁で、学生一人当たりの平均経費は、北京大学や復旦大学よりはるかに潤沢であった。 学生には清華大学在籍中と米国への5年間の留学中に、手厚い奨学金が支給されていた。新中国に清華大学米国留学組の果たした貢献は大きかったのである。そ れに反して日本は、自国財政の4.7年分の日清戦争賠償金を、自国の工業化の資金にしただけであった(鮫島敬治・日本経済研究センター編『中国の世紀・日 本の戦略』日本経済新聞社、2002年、iv-vページ参照)。

留学ルートの確立

2002年2 月21日、ニクソン訪中からちょうど30年後にブッシュ大統領が訪中した。ブッシュはまず、中国人留学生の大量の受け入れを表明した。2002年から今後 5年問にわたって、ハーバード大学行政大学院(ケネディ・スクール)に、中国の中央と地方の高級幹部300人を留学させることで合意した。
中国はWTO加盟を機に、行政審査権限の委譲、行政事務の公開、制度・法規の確立など、行政の公開・公平・公正と効率化推進を目標に掲げており、ケネ ディ政治学院に派遣される幹部は、米国で政治学と公共政策を学ぶことになる。同学院には、中国軍も1997年から毎年、武官クラスの軍人留学生20名程度 を短期間派遣し、米国の国防専門家や学者と、アジア太平洋地域の安全保障問題、情報戦争問題など40ものテーマについて検討させている。これまで合わせて 4回に分けて、合わせて100名近い中級クラスの軍人が米国で学んだ。
この他にも、改革の進展やWTO加盟をめぐる競争加速の中で、中国科学院、科学技術部、教育部、人事部など多くの政府部門が、「100人計画」、「春蕾 計画」、「青年科学基金」、「長江学者奨励計画」などで留学中の精鋭の帰国を促す計画を練り、留学帰りの人材を争って求めている。
95年初め、上海市が「3つの1」という人材育成計画を制定した。計画は、「20世紀中に市の局長クラスの指導幹部100人、高級経済貿易管理者 1000人、各業界の専門家1万人を養成し、うち一部の者は復旦大学や上海交通大学で外国語と専門について短期研修した後、米国留学あるいは海外の中国企 業か外国企業に派遣する」という内容である。元共産党上海市委員会の副書記で現在江西省党委書記の孟建柱は、この「3つの1」計画で育成された1人であっ た。元上海市長の徐匡適は2001年初めに、「上海では3年前から新世紀に入る準備として、青年を大量に米国、欧州に派遣しておいた」と述べた(前掲書、 256-58ページ参照)。

ヘンリー・キッシンジャーの対中人脈

中国といえば、米国の対中外交の創始者であるキッシンジャーを忘れてはならない。ヘイグ、スコウクロフトはともにその部下であった。ヘイグはレーガン元 大統領時代の国務長官であり、スコウクロフトはフォードおよびブッシュ(父)大統領の両政権で、大統領補佐官を務めた。また現在のライス大統領補佐官を育 てた師匠とも言われている。
以上の3氏は退職後、それぞれ中国を主な進出対象地とするコンサルテイング会社の代表となった。彼らは中国の高級幹部層と良き友情や人脈をもち、とくに キッシンジャー事務所は中国の高級幹部の子女と留学生の精鋭を数人雇用し、中国との商談での有力な助手としている。同時に彼らは、米国議会および政府部門 に中国政府の意図を正確に伝える役割を果たしている。
サミュエル・バーガー大統領補佐官(当時)は、クリントン政権の外交政策を決める責任者の一人として活躍したが、現在は「ストーンブリッジ」というコン サルタント会社を経営し、中国を大きなビジネス源としている。彼らは中国で有限会杜を設立し、米国の中国人留学生や在米華人を取締役などの地位に就かせる ことで、それらの会社をスムーズに中国社会に溶け込ませ、人脈も拡大させているのである。
中米関係の発展に大きく関わるもう1つの勢力は、在米中国人の社会団体であろう。なかでも最も代表的なのが「100人会」である。この「100人会」は 89年の天安門事件後に設立された。その主要な目的は、中国政府に在米中国人の意見を伝えることである。会員は米国である程度成功しているものに限ってい る。
例えば、有名な建築設計士・貝律銘はその一人である。メンバーたちの社会的影響力によって、中米両国政府は彼らに耳を傾けるようになった。クリントン政 権が中国に無条件に最恵国待遇を与えることと、江沢民が米国訪問をすることなどで、メンバーは大いに力を発揮した(前掲書、273-77ページ、参照)。

米ディズニー社とキッシンジャー

米国の「ウォルト・ディズニー・インターネット・グループ」は、2001年8月26日、中国海虹企業株式有限会社と提携し、中国でインターネット関連事業を展開することになった(DISNEYBLAST)。さらに同社は、東京に続いて上海にもテーマパークを開設する予定であるという。
このディズニー社の中国ビジネスに関するコンサルタントが、キッシンジャーである。海虹社は、中国ナンバーワンのネットゲームサイト「連 衆」(http://www.ourgame.com)の事実上の所有者であり、ディズニー社との契約では年間4億円程度のサイト運営料を支払うことに なっている(早稲田大学大学院アジア太平洋研究科岩村研究室、ABC Magazine、 http://abc.wiaps.waseda.ac.jp)。少なくとも、ディズニー社は最小のリスクで最大の投資価値を得ることになる。米中国交回 復の立て役者が、そこで培った人脈を活かしてちゃっかり商売をする。キシンジャーのもつ対中人脈が効を奏したのである。


国際経済ウォッチング の他の最新記事