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【2003年1月号】「葵未の年」と重ね合わされる危機状況をどうする?

2003年が明けた。今年は十干十二支でいえば葵未である。そこで、新年にちなんで、この「えと」をめぐって振り返ってみよう。

十干十二支でめぐる暦はその単位が60年であるから、この前の葵未の年は60年前の1943年である。この年は昭和18年、第2次世界大戦の角を曲がり きった年で、ようやく国民の意識に敗色が映り始めた年といってよい。もともと1929年の世界恐慌の困難の中で、1931年(辛未の年)の満州事変でを経 て、1937年の日中事変に突入したこと自体に問題があったことはいうまでもない。しかし、さらにABCDという英米を中心とする東南アジアからの資源供 給路への包囲線に対して困窮し、日独伊防共協定を1940年に締結して、翌年大東亜戦争に突入してしまった。その結果、緒戦は何とかパールハーバー奇襲作 戦やシンガポール攻略で戦果を上げたが、1942年6月のミッドウエー海戦で惨敗し、43年2月にはガダルカナル撤退に追い込まれ、43年4月には山本五 十六連合艦隊司令長官を失い、アッツ島守備隊全滅と続くとともに、最初の本土空襲を受け国民総動員実施要綱などを決定する。こうして敗色が決定的になった のがこの1943年である。そのあとは、何事もうまくいかず、本土玉砕などと敗戦に向かって突っ走ることとなった。

戦後の今日、このような戦時のことは最早遠い昔と思いがちである。しかし最近の傾向を見ていると、先行きが不透明で、わが国の国際的な位置とスタンスを 見誤る可能性なしとはいえない。筆者は今日のグローバリズム世界の中で、わが国が戦争に突っ走るなどといった「いつか来た道」論を恐れるわけではない。そ れほどわが国がバカげているとは思わぬが、今日の混迷とペシミズムの風潮を恐れる。

このほぼ60年単位の巡り合わせは、葵未の年の荒れ模様という歴史上興味深い事実を示しており、2003年の現実と重ね合わされる宿命的様相を物語る。 もとより「歴史は繰り返される」というのは、同次元での繰り返しではなく、スパイラルに循環する「異次元同地点」ともいうべき類似現象である。しかし、第 1次・2次の大戦を経て、動乱の20世紀が冷戦崩壊による89年体制という新たな次元を迎えて間もなく、今度は同時多発テロという従来の国家間紛争と全く 異なる9.11体制に突入した世界において、経済危機・戦争含みのキナ臭さ・連鎖するナショナリズムの高揚・わが国金融機構の危機・政治の不安定―特に自 民という多数派主軸の与党が、小泉内閣と自民多数派との分裂含みとなっていることに加えて、野党の怠情、なかんずく野党第1党・民主党の世代交代を巧みに 乗り切れない未熟・稚拙さと政治的無能力―は、今日の危機超克の大きな不安材料である。しかし、そうばかりはいっておれない。宿命感やペシミズムに捉われ ず、政治家のエゴや無気力を乗り超える「民」の英知こそが求められる年となりそうである。(伴)


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