(公社)国際経済労働研究所 会長 古賀 伸明
明けましておめでとうございます。
健やかに新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。
元日から二日にかけて見る夢を初夢といい、見ると縁起が良いとされるものを順番にいい表したのが、「一富士、二鷹、三茄子」。江戸時代の中期から広まったという。
諸説あるが一番有力なのが、現在の静岡県にあたる駿河の名物を並べたものだ。一番は言いわずと知しれた富士山。二にはこの地域に生息する優秀な鷹、三は質が良く他の地域より早くとれた茄子。駿河はもちろん徳川家康の故郷だ。
夢といえば、ミュージカル「ラ・マンチャの男」を思い浮かべる。ブロードウェイで初演されてから、昨年60年を迎えた。原作はスペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスによる不朽の名作「ドン・キホーテ」だ。
物語の中心にあるのは、老騎士ドン・キホーテの「狂気」である。彼は読んだ騎士物語に影響され、朽ちた鎧をまとい、痩せ馬ロシナンテにまたがって、悪と戦う旅に出る。宿屋の女アルドンサを高貴な淑女ドルシネアと思い込み、風車を悪の家臣と疑わず立ち向かう。常識で見れば滑稽そのものだ。しかし、彼の「狂気」は、理想を信じ抜く清らかな心から生まれている。
ミュージカル・ナンバーとしては、タイトル曲「ラ・マンチャの男〜われこそはドン・キホーテ(Man of La Mancha - I, Don Quixote)」や「ドルシネア(Dulcinea)」などが知られるが、なかでもこの作品の象徴的な楽曲「見果てぬ夢(The Impossible Dream)」は、まさにその信念の結晶だ。“To dream the impossible dream, to fight the unbeatable foe…”見果てぬ夢を追い、不可能な敵に立ち向かう。その旋律は静かに始まり、やがて高らかに、魂の叫びとなって観客の心を揺さぶる。中盤でドン・キホーテが独白のように歌い、終幕では囚人たちも共に大合唱によって繰り返される。現実の牢獄にあっても、人は心の中で自由であり得るという希望の象徴である。
作品の中で、ドン・キホーテはこういう。「事実は、真実の敵なり」。この言葉は、情報や効率が支配する現代にも鋭く響く。目の前の「事実」だけを見て、それが真実と決めつけてはいないか。夢や理想を「非現実的」と切り捨ててはいないか。彼の「狂気」は、むしろ現実に安住する人間への痛烈な問いかけでもある。
もう一つ、忘れがたい台詞がある。「夢ばかり見て現実を見ないのも、また現実ばかり追って夢を見ないのも狂気かも知れぬ。しかし、最も憎むべき狂気は、現実と馴れ合って、あるべき姿のために戦わぬことだ」。この言葉にこそ、「ラ・マンチャの男」の精神が凝縮されている。理不尽な世の中にあっても、正しいと思うことを信じ続ける勇気。たとえ周囲に笑われ傷ついても、「あるべき姿」を求めて歩み続ける心。それは現代社会が失いつつある「理想の力」への賛歌でもある。
「ラ・マンチャの男」は、私たちへ大きな問いを突きつけている。理想を持つことを「夢物語」と笑うのか。それとも、たとえ風車に突進するように見えても、「見果てぬ夢」を追う人生を選ぶのか。
60年を経ても、このミュージカルが世界中で愛され続ける理由はそこにある。ドン・キホーテの「狂気」は、時代を超えて私たちに勇気を与える。それは敗北を恐れず、信じるもののために立ち上がる人間の姿への深い敬意なのだ。
日本では、松本白鸚(市川染五郎、松本幸四郎の時から)が主役を務め、半世紀以上にわたり上演回数は1000回を超えた。白鸚の気迫あふれる演技と深い哲学性は、観客に「夢を見ることの尊さ」を訴え続けてきた。
現代社会は、合理と損得が優先され、理想や信念が置き去りにされがちである。しかし、私たちは忘れてはならない。「見果てぬ夢」を追うことこそが、人間の尊厳なのだと。ドン・キホーテが示した「狂気の中の真実」は、今を生きる私たちへの静かな呼びかけである。
弊研究所への引き続きのご指導・ご支援をお願い申し上げますとともに、皆さまにとって新しい年が実り多き年になりますよう心より祈念申し上げます。
2026.1