本誌では新しい連載として、労働組合におけるジェンダー平等をテーマとするインタビュー「VOICES&VIEWS-クミジョを超えて」を開始予定である。本連載では、インタビューを4名の研究者で行っていただくが、「労働組合のジェンダー平等は待ったなしである」という統一的視点をもち、性別を問わず誰もが排除されない組織のあり方を考えるという趣旨である。労組のジェンダー平等にとって、「クミジョ」の活躍を応援することは、これまでの男性中心の状況を打破する第一歩となると考えられるが、「クミジョ」にあたる人たちだけでなく労働界、ひいては社会全体に寄与する連載にしていくことができればと考えている。
また、インタビューでは、労働組合で活躍される女性(クミジョ)をはじめ、「クミジョ」ではない方、労働組合役員以外(たとえば研究者など)などにも広くお話をうかがう予定である。できる限り、これまでに他のメディア等で紹介されていない方々にも光をあてたいと考えており、関西圏が多くなる可能性があるが、関西圏に限るというわけではない。
このページでは、連載の開始に先立ち、4名の研究者の方々および弊所にて2024年より本格的に研究を行っているダイバーシティ・アクト研究チームより、関心や問題意識についていただいた寄稿のうち、萩原久美子氏の記事を掲載する。
桃山学院大学社会学部 教授
1. 労働組合運動史とフェミニズム史のはざまで
男女雇用機会均等法は 1985年成立、1986年に施行された。今年2026年はその施行から40年目にあたる。罰則がなく努力義務中心の均等法は「みにくいアヒルの子」と呼ばれ、「白鳥」に育つことが期待された。
その後、均等法は 1997年、2006年の2度の大改正によって、職場での性差別禁止法の体裁を整えた。間接差別の禁止、妊娠・出産等に関する不利益取り扱いの禁止、セクシュアル・ハラスメント等に対する防止措置も義務付けられ、均等法をひとつの参照点として日本の雇用におけるジェンダー平等の進捗が語られてきた。だが、私たちには原点ともいえる歴史と運動がある。1970年代半ばから1980年代の半ば、戦後の女性運動勢力と労働組合婦人部、次世代のウーマン・リブ運動による幅広いネットワークが生み出した男女雇用平等法制定運動である1。
1975年の国際女性年を嚆矢として、国連では1979年に女性差別撤廃条約を採択、日本政府にも同条約の批准に向けて国内法の整備が求められていた。とりわけ、賃金以外に性差別を禁ずる条文のなかった当時の日本にとって雇用における男女平等の法制化は喫緊の課題となっていた。政府の動きを見据え、女性たちは新たな法律―― 男女雇用平等法を求めて動き出した。その運動の中心に労働組合の女性たちがいた。
欧米並みの実効性ある平等法の制定に経営側は警戒を強め、雇用管理における裁量を企業経営の根幹であると主張し、一般女性保護規定(時間外・休日労働の制限、深夜業の禁止等)の廃止を男女平等の論理にすえた。法制度の激しい議論の舞台となった労働省婦人少年問題審議会婦人労働部会、その男女平等問題専門家会議で労働組合婦人部のリーダーはナショナルセンターの壁を越えて強く連帯し労働側委員として対抗した。総評(450万人)、同盟(210万人)、中立労連、新産別が築き上げた圧倒的な組織力をもって女性組合員は議論と活動を積み上げていった。審議が大詰めを迎える 1983年には女性組合員は大規模な一斉行動に出た。総評婦人局は 1000万人署名活動とともに、傘下の単産・単組の女性延べ2400人が労働省横で11月10日から12月24日まで約40日間にわたる座り込みを実施。ハンドマイクで連日、職場での経験と思いを叫んだ。同盟も経営者団体への要請、1000人デモを繰り広げた。
しかし、結果は「勤労婦人福祉法」の改正による男女雇用機会均等法であり、企業側の主張を大幅に認める内容だ。これによって女性差別撤廃条約の批准が可能となり、日本は国際標準での平等の土台を手に入れた。とはいえ、痛みを伴いながらの前進ではあった。この決着は次世代のフェミニズムから批判的に総括され、当時は政労使の攻防の最前線にいた労働組合、特に総評に対する批判もあった。
均等法施行後は、男女雇用平等法制定運動は均等法成立前史となり、均等法成立過程の分析は女性差別撤廃条約という外圧の影響や平等をめぐっての審議会での政労使の対立、国会審議での言説が中心となった。テレビ番組をはじめ、均等法成立過程は女性官僚を主人公とする均等法物語となり、労働組合の女性リーダーと女性たちの運動はその一コマ、官僚たちにとって越えなくてはならない障壁として描かれた2。一方、労働組合運動史は男女雇用平等法制定運動に着目しつつもナショナルセンター四団体の共闘であり、連合へといたる労線統一の一コマに回収し、雇用上の男女平等は女性たちの「別建ての歴史」として周辺化された。この一連の動きによって、労働組合を活動基盤とする女性/労働運動の蓄積は見落とされ、過小評価されてきた。
2. 今日的視点から見た「保護も平等も」の意義
労働組合の女性たちはどのように男女平等を構想していたのか3。最大勢力の総評婦人部はまず、「国籍、信条又は社会的身分」を理由とする賃金、労働時間その他の労働条件に関する差別的取り扱いを禁止する労働基準法第3条に、性別の明示、さらに年齢・未婚/既婚・子どもの有無・雇用形態による差別禁止の明示を求めていた。禁止されるべき差別事由を包含しようとする構想は、今日の「包括的差別禁止法」の議論に連なるものだった。
そのうえで、「男女雇用平等法」には、募集から定年までの雇用管理全般、職種・職務内容や研修・訓練に加え、職業紹介、職業指導についても差別禁止を求めた。救済機関として「男女雇用平等委員会」の設置も要求した。男女平等の基盤としての労働時間の短縮、完全週休2日制の実施、有給休暇の拡大や保育や育児休業もあげていた。
これら要求は女性労働者の夢物語ではない。戦後、女性だけでなく男女がともに労働組合を舞台に積み上げてきた議論と実績を土台とする要求だったからだ。1947年に結成された日教組の第一指令は「男女賃金差別撤廃」だった。1953年には42都道府県で教職の男女同一賃金を達成している。総評婦人対策部による ILO第100号条約批准獲得運動へと発展した。これに成功した後は同一労働同一賃金の障壁となる職種、職務評価、雇用管理のあらゆる段階に組み込まれた差別に目を向けることになる。
育児休業も全電通が世界に先駆けて1965年に協約化している。当時の電電公社は電話交換の自動化を進めており、既始の電話交換手の退職を進めていた。これに対して、全電通が対置したのは育児休職取得を前提とする人員確保という戦略だった。職場と労働市場における女性の権利の保障と社会的権利(ケアの保障)のために組織をあげて闘った4。
この時、組合は女性の職域拡大や研修のありかたも協約化している。さらに、育児休業復帰後の短時間勤務の制度化に関しても「週35時間、週休2日制という男女共通の労働時間の短縮」による解決が提起された5。時間外・休日労働の制限、深夜業の禁止等は女性保護の問題ではなく、男女共通の問題としての位置づけが模索されていたのである。1957年にゼンセン同盟は繊維産業の特例だった午後10時以降の女子の深夜業を廃止させた。それは男性に対しても適用され、男女ともの深夜業の制限、労働時間短縮の先鞭をつけていた。
「保護も平等も」という総評婦人局の主張は男女共通の深夜業、時間外・休日労働に対する規制、男女ともの労働時間短縮を通じて豊かな暮らしを実現するという、今日的な方向性を先取りしていた。規制が弱い現状の労働時間にあわせて男女ともに働くことが男女平等だとするなら、再生産労働(生む・育てる)の権利も、職場・労働市場における女性の権利も否定される。それは生産労働と再生産労働が表裏一体の関係にあり、この二つの労働の組み合わせをジェンダー平等なものに変革するという今日的な主張でもあった。
これら要求は今、労働組合にとっての主流の課題となっている。賃金や労働条件の向上に加えて、同一(価値)労働同一賃金、ワーク・ライフ・バランス、DEI(ダイバーシティ・エクィティ&インクルージョン)、SOGI(性的志向・性自認)、外国人労働者・・・。主流労働運動史が周辺化してきた男女雇用平等法制定時の課題が、労働者の権利とジェンダー平等、社会正義を一体化して労働組合運動の推進力となる時代を迎えている。
3. 声を聞くということ―― 参加と代表性をめぐって
時代は主流の労働組合史に対する再考を迫っている。同時に、既存の労働組合の組織とその運動の在り方の刷新をも迫っている。それはどのような運動であり、組織なのか。
1990年代以降、欧米では「労働組合の女性化現象」が指摘されてきた。製造業の縮小とサービス部門の拡大という産業構造の変化を背景に、労働組合員数に占める女性の割合も約50%となった6。日本では女性割合は長らく27-28%を推移してきたが、製造業の縮小による男性組合員数の大幅減という趨勢もあり、2010年代に35%まで上昇した。ようやく組合の女性化現象が見えてきた。しかし、労働組合と女性との距離が縮まったわけではない。女性役員の少なさはその典型と言えるが、もう一段の深刻な課題がある。それら女性役員の代表性は組織内でどのように機能しているのか、という問題である7。
労働組合は「貪欲な組織(制度)」と評される8。「貪欲な組織(制度)」は社会学者ルイス・コーザーの概念で、構成員に対して、家族や余暇、その他の役割よりもその組織を優先し、献身的な犠牲を求めることを指す。軍隊や宗教組織、エリート社員と企業との関係などに見られる。物理的に隔離され服従を強制的に求める収容施設とは異なり、構成員に自発的な形で時間的、精神的な犠牲を求める文化的メカニズムを備えた組織のことだ。
労働組合への参加、特に役職を引き受ける場合には、長時間のコミットメントや個人の欲求よりも集団の目標や活動を優先させるなど集中的に組織に関わることが求められる。また、19世紀後半から20世紀前半にかけて男性中心の製造業を基盤として発展してきた労働組合は集合的な力を結集し、団体交渉に有利なピラミッド型の命令系統を持つ組織として定着した。そうした組織を率いる理想のリーダーシップ像が共有され、中核的なリーダーのもとで各拠点リーダーが組合員を一斉に動員する。共通の利害と組合員の同一性を前提とするため、主流の担い手とは異なる女性や非正規労働者、外国人などは排除されることになる。
結果、女性はいわゆる「女性の問題」「婦人部の運動」などとして分離して組織化する。あるいは組織化させられることになる。主流の組織や労働運動から分離されるため、意思決定過程に食い込むことは難しい。その状態を乗り越えて、主流の組織の意思決定に参加しても、女性や周辺化された労働組合員は男性中心の意思決定や組織運営のロジックに順応するほかない。既存の権力構造と意思決定の中でのサバイバルはジェンダー化された組織を変革することには至らない。この二つが多くの場合、歴史的に女性たちに与えられた選択肢だった。
しかし、それを乗り越える組織改革もある。それが包摂だ。連帯とは同一性ではなく、異なる人たちが連携することであり、それぞれの主張とロジックをもって連合を組み、既存の意思決定や組織の在り方を見直す。これによって実質的に意思決定に参加する間口を広げ、参加そのものの質も大きく変革する。
「役員数」「役員のなり手」は女性の労働組合への参加の指標と見なされがちだが、これは組織における女性の「代表性」保障の課題であって、女性の「参加」意欲とは異なる。「参加」に関しても、多様なアプローチがある。女性は役員としての組合内部の昇進よりも職場の仲間に寄り添う職場委員や職場での人間関係のひろがりにやりがいを見いだす傾向があるとの調査もある9。職場と役員をつなぐ「連結ピン」となる女性の存在が労働組合の活性化を促した事例もある10。
男女雇用平等法制定運動が目指したものは今なお未完である。そして労働組合の内部でもジェンダー変革の運動が続いている。今、労働組合ではどのような包摂のプロジェクトが進行しているのだろうか。労働組合での経験や事例からその可能性を導き出すことができるだろうか。耳を傾けたい。
――注釈――
1 赤松良子(2003)『均等法をつくる』勁草書房。浅倉むつ子、萩原久美子・神尾真知子ほか編著(2018)『労働運動を切り拓く』旬報社。
2 たとえば NHK『プロジェクト X ~挑戦者たち』「女たちの 10 年戦争~『男女雇用機会均等法』誕生」。
3 総評婦人局(1983)『総評の目指す男女雇用平等法制』。
4 萩原久美子(2008)『育児休職協約の成立』勁草書房。
5 前同、pp.215–220。
6 たとえば、Milkman, R. (2016), “Union Responses to Workforce Feminization in the United States” in On gender, labor, and inequality. University of Illinois Press,184–204.
7 組織文化の変容については量的な進展があってもジェンダー平等が停滞することから組織の代表性を権力と構
造の問題としてアプローチする理論が登場している。
8 Coser, L. A. (1974), Greedy Institutions: Patterns of Undivided Commitment. New York, NY: Free Press. 労働組合における分析は、たとえば Franzway, S. (2000), Women Working in a Greedy Institution: Commitment and Emotional Labour in the Union Movement. Gender, Work & Organization, 7: 258–268.
9 萩原久美子(2011)「労働運動のジェンダー主流化と女性の自主活動組織――英米の先行研究に見るジェンダー分析の視点と日本への含意」『大原社会問題研究所雑誌』。
10 萩原久美子(2016)「企業別労働組合における人材確保の問題と「担い手」概念の検討――女性、若者、非正規労働者への再組織化事例を中心に」『下関市立大学論集』Vo.59(3)。